つまり、彼の役割は「誰と握手するか」ではなく、「どこまで譲れるか」を決めることに近い。初期案を拒むのか、交渉団に合意へ動く余地を与えるのか、停戦を国内向けにどう位置づけるのか。その政治的な境界線を引いた人物として報じられている。
最初の局面で報じられたのは、対米緩和ではなく拒否だった。
同じ報道では、匿名のイラン高官が、米国とイスラエルへの報復を巡るハメネイ氏の姿勢は「非常に強硬で真剣」だったと説明した。ただし、その外交政策会合に本人が対面で出席したのか、遠隔で関与したのかは明確ではないともされた。
朝鮮日報の英語版も、Reutersを引用する形で、仲介国を通じた米国の停戦案をハメネイ氏が拒否し、報復を巡って強硬姿勢を取ったと報じた。 京郷新聞の英語版も、Reuters報道として、米国とイスラエルが先に「ひざまずく」必要があるとのイラン高官の発言を伝えている。
次の局面では、拒否から「承認」へと空気が変わった。
米国とイランは4月8日、パキスタンの仲介により2週間の停戦で合意したとされる。 Axiosは、トランプ大統領の最後通告が迫る中、米国とイスラエルの当局者が重要な変化を知らされたと報じた。ハメネイ氏が、紛争勃発後初めて、交渉団に合意を追求するよう指示したという内容だ。
これは、彼自身が米国側とテーブルを挟んで交渉したという意味ではない。むしろ、交渉団が合意に向けて動ける「許可構造」が変わった、という読み方が自然だ。Axiosの報道が正しければ、ハメネイ氏の決定的な動きは、外交の表舞台に立つことではなく、決定的なタイミングで交渉団にゴーサインを出すことだった。
その後のThe Boston Globeの報道では、イランのアッバス・アラグチ外相がパキスタンに新提案を届けたとされる。その内容は、まずホルムズ海峡の開放と米国の海上封鎖解除に焦点を当て、核協議は後の段階に回すものだった。
ハメネイ氏の公的な発信は、抑制と強硬な線引きが同居していた。
停戦後の報道や分析を見ても、テヘランの交渉姿勢が大きく軟化したとは言いにくい。
戦争研究所(ISW)は4月29日、イランが次の対米提案で意味のある譲歩をする可能性は低いと分析した。さらに、体制側がイスラム革命防衛隊(IRGC)のアフマド・ヴァヒディ少将に結びつく強硬な立場を採用しており、ホルムズ海峡や核計画を巡る譲歩には消極的だとした。
現時点で言えるのは、複数の報道がハメネイ氏を交渉担当者の上に立つ人物として位置づけていることだ。彼は初期の停戦・緊張緩和案を拒否したとされ、その後、交渉団に合意追求を指示したと報じられ、停戦についても「戦争の終わり」ではなく一時的な停止として語ったとされる。
結論として、モジュタバ・ハメネイ氏の「隠れた役割」は、公開外交ではなく指揮権限の行使として理解するのが最も無理がない。初期にはテヘランの強硬姿勢を固め、外交的なタイミングが来ると停戦への転換を承認し、見える交渉は外相や仲介国に委ねた。報道の方向性は一致しているが、その内側の意思決定過程はなお部分的にしか検証できない。