この決断は、決して衝動やパニックによるものではなかった。5月26日から27日にかけて発表された詳細な説明の中で、ホフマンはイーサリアム・ネットワークの未来と、ネイティブトークンであるETHの投資可能性を明確に切り離す、極めて緻密な論を展開したのだ。彼の核心的なメッセージは、ある種の批判であると同時に、揺るぎない信念の表明でもある。すなわち「ETHがグローバルマネーになる」という壮大な物語は失敗したのではなく、その論理的な終着点に達し、すでに市場に織り込み済みとなったのだ、と。
イーサリアムの価値提案の中心には長年、「ETHがグローバルで分散型の金融資産になる」というテーゼがあった。それは通貨、債券、株式の性質を併せ持つ「三重点資産」として、やがては金やドルと同列の価値貯蔵手段となるという展望である。ホフマンは、この物語はすでに完全に実現されたと主張する。「『ETHは貨幣である』というテーゼは失敗したのではない……それは完全に演じきられたのだ」と彼は記し、市場はこのナラティブがもたらしうるすべてを、すでに織り込んでしまったと断言した。
これは、ETHを将来的に大きな上昇余地のある資産と見なす視点から、現在の時価総額こそがその成果に対する公正で最終的な評価であると見なす視点への、決定的な転換を意味する。ホフマンは、市場がこのトークンをどちらの方向にも大幅に再評価する説得力のあるロジックを、もはや見いだせなくなっている。
ホフマンの推論の核心にあるのは、イーサリアムのアーキテクチャを本質的に「寛大」なものと捉える視点だ。彼は、ベースレイヤーを「世界で最も成功したオープンソースの非営利組織」と表現する。極めて安全なブロックスペース、グローバルな資産トークン化、巨大なDeFiインフラを、利幅を乗せることなく原価に近い形でレイヤー2(L2)やアプリケーションに提供する存在だ、と。
この設計思想は、ネットワークが価値を搾取するのではなく、価値を外部に与えることで成功することを意味する。ホフマンは、手数料利益の約97%がL2に、残りをアプリケーションが獲得し、L1のベースレイヤーは実質的に原価で稼働し続けていると指摘する。トランザクション実行の主戦場がオフチェーンのL2へと移行するにつれ、ネットワーク活動の爆発的な増加とL1資産の価格との直接的な結びつきは弱まった。端的に言えば、ネットワークは財政的に繁栄し得るが、ETHトークンが享受できる経済的利益はごくわずかになってしまったのだ。
ホフマンはまた、ETHが真のグローバルマネーとなるための「機会の窓」はすでに閉ざされたと指摘する。そのビジョンを達成するには、スタートアップのように機動するイーサリアム財団、L2群の強固な協調、技術ロードマップの完璧な遂行、そして暗号資産の持続的な一般普及といった、あらゆる条件の完璧な調和が必要だった。
Solanaのような競合エコシステムの台頭、イーサリアム自身の適応速度の遅さ、そして2020年から2021年にかけての一瞬のメインストリーム・ブームの熱が冷めたこと、これらすべてが相まって、その扉は閉ざされた。彼はこの状況を、「ETHがグローバルマネーになるには、そのアーキテクチャ自体が戦うことを拒否している戦争に勝利する必要がある」と表現し、その実現はもはやないと確信するに至ったと締めくくっている。
これは、ホフマンの主張における最も重要な区別、すなわち「イーサリアムというネットワーク」と「ETHというトークン」の分離へとつながる。
これはイーサリアムの終焉を宣言するものではなく、投資テーゼの成熟を示すものだ。ホフマンの売却は、テクノロジーへの弱気ではなく、より直接的な価値獲得が見込める機会へと資本を戦略的に再配分する行為だった。それは、ETHがその寛大な設計ゆえに、もはや占めていないポジションからの旅立ちなのだ。