日本の円買い介入は、相場の流れを一時的に反転させることには成功した。しかし、円高のトレンドを定着させるには至らなかった。
日本当局は2026年7月30日から8月26日にかけて、ドルを売って円を買うために計15.4兆円を投じたと報じられている。米財務省も異例の日米協調介入に加わり、ドル円は一時、1ドル=164円近辺から155.20円前後まで下落した。その後、円は再び弱含み、160円方向へ戻った。1815
介入で変わったもの、変わらなかったもの
今回の介入が市場に与えた効果は明確だった。
- 円売りポジションを急速に縮小させ、円を売って利益を狙う取引のリスクを高めた。
- 米国が日本の対応を支援する姿勢を示し、将来の介入規模や信頼性への警戒を強めた。
- 円安の一方的な進行をいったん止め、市場のモメンタムを変えた。
ただし、介入によって変わらなかった重要な要素がある。それは、ドル資産と円資産を保有した場合の収益差だ。
市場では、投機筋を円売りから遠ざけるには、日本の金融政策をより引き締める必要があるとの見方が示されていた。6 介入は為替レートを短期間で動かせても、金利や運用収益の差を自動的に埋めることはできない。
「1998年以来初めて」という表現には注意が必要
今回の措置を「1998年以来初めての日米協調介入」と断定するのは適切ではない。提供された報道では、今回の介入は「10年以上ぶりの二国間の円買い介入」と説明されている一方、2011年にも日米が協調して円相場に対応したとの報道がある。493336
したがって、より正確な表現は「近年では極めて異例の日米協調介入」、あるいは「10年以上ぶりに米国が日本とともに円を買った介入」だろう。436
なぜ円高は短命に終わったのか
日米金利差がなおドルを有利にした
為替介入は通貨の価格を短期間で押し動かせるが、その通貨を保有して得られる利回りまでは変えない。日本の政策金利は1%にとどまり、米国のドル資産には依然として大きな利回り上の優位性がある。9月に日銀が1.25%へ利上げしても、この差が完全に消えるわけではない。1820
この金利差が支えているのが「キャリートレード」だ。投資家は比較的低金利の円で資金を調達し、より高い利回りが期待できるドル資産などに投資する。介入による円買い圧力が弱まれば、こうした投資家には再び円を売る動機が生じる。
さらに、金融市場は実際の利上げを待たず、予想される政策変更を先に織り込む。9月17~18日に利上げが実施されても、それが広く予想された内容にとどまれば、円相場への影響は限定的かもしれない。追加利上げの時期が前倒しされる、または利上げ幅が市場予想を上回るといった、よりタカ派的なシグナルが必要になる可能性がある。1718
インフレが進んでも、必ずしも円高にはならない
日本の7月のコアインフレ率は加速した。円安や中東情勢に伴う輸入コストの上昇を企業が価格に転嫁したことが背景にあり、日銀の利上げを後押しする材料となった。18
しかし、輸入エネルギーや輸入品によるインフレは、国内需要の強さから生じる物価上昇とは性質が異なる。物価上昇は利上げを促す一方で、家計の実質的な購買力や企業の利益率を圧迫することもある。
そのため、インフレ率が日銀の目標付近にあることだけで、持続的な円買い需要が生まれるとは限らない。市場が注目するのは、物価上昇そのものよりも、日銀がそれに対してどれほど継続的かつ積極的に対応するかだ。
G20で焦点となりそうな論点
財務相の加藤財務相と日銀の植田和男総裁は、G20財務相会合への出席が見込まれている。弱い円をどう反転させるかが、会合の主要なテーマの一つになる可能性がある。310
議論されそうな論点は次の通りだ。
- 「過度な変動」や「無秩序な値動き」をどのように定義するか
- 追加の協調介入を実施する条件
- 為替介入だけではなく、日銀の金融引き締めで円を支えられるか
- ドル流動性供給制度へのアクセスを広げられるか
- 円安が韓国ウォンなどアジア通貨に及ぼす影響
- 中東情勢がインフレ、成長、エネルギー安全保障に与える影響
米国の関与は、日本だけにとどまらない。米財務長官のスコット・ベッセント氏は、安定した円が域内貿易と金融の安定に重要だと説明し、円安がさらに進めば他のアジア通貨にも圧力がかかると警告している。7
FIMAレポ制度が米国債市場を守る仕組み
ここで重要なのは、米国がFIMA制度を利用するという意味ではなく、日本が米連邦準備制度のFIMAレポ・ファシリティにアクセスすることだ。
FIMAは、正式には「Foreign and International Monetary Authorities(外国・国際金融当局)」を指す。対象となる外国の中央銀行や金融当局は、米国債を担保に差し入れることで、一時的にドルを調達できる。米国債を市場で outright、つまり outright売却する必要はない。11539
この仕組みが重要なのは、円を支えるには通常、ドルを売って円を買う必要があるからだ。日本がドルを調達するために大量の米国債を売れば、市場に米国債の供給が増え、債券価格が下落して利回りが上昇する可能性がある。米国の政府や企業、家計の借入コストにも波及しかねない。163940
FIMAレポ制度は、いわば流動性の橋渡しとなる。
- 日本は円買い介入に使えるドルを調達できる。
- 米国債をすぐに売らず、保有を続けられる。
- 米国債市場で、まとまった強制売却が起きるリスクを抑えられる。
もっとも、これは恒久的な解決策ではない。流動性の支援に長く依存すれば、市場参加者が「日本と米国は、特定の為替水準を本当に守り続ける意思や能力があるのか」と試す可能性もある。37
中東のエネルギー危機が日本を脆弱にする理由
日本の円問題は、エネルギー問題とも直結している。日銀によると、日本は原油の90%超を中東に依存し、その他の鉱物性燃料についても同地域への依存度が高い。中東で紛争が長期化し、原油価格が上昇すれば、エネルギー輸入に依存する島国にとって負の供給ショックとなる。212324
影響は経済全体に及ぶ。
- 家計: ガソリン、電気、輸送、食品関連のコストが上昇し、実質可処分所得が減少する。
- 企業: 製造業、運輸、物流、中小企業のコスト負担が増え、利益率が低下するか、値上げを迫られる。
- 輸出企業: 円安は海外利益を円換算した際の押し上げ要因になるが、日本国内で生産する企業では、燃料や部品など輸入コストの上昇がその効果を相殺しうる。
- 貿易収支と円相場: 原油などの燃料輸入には外貨が必要だ。円安の状態でエネルギー価格が上昇すると輸入額が膨らみ、海外への所得流出が増える。成長を圧迫し、円にさらなる下押し圧力をかける可能性がある。2124
植田総裁にとっては難しい政策判断になる。エネルギー由来のインフレは利上げを促す一方、その同じショックが家計所得、企業利益、経済活動を弱めるからだ。日銀は物価上昇に対応しつつ、景気への打撃を必要以上に深めないようにする必要がある。2324
円高を持続させるために必要な条件
円の持続的な回復には、複数の要因が重なる必要がある。
- より説得力のある日銀の利上げ経路: 予想された一度の利上げだけでは不十分で、市場が日本の金利は今後さらに速く、または高い水準まで上がると確信する必要がある。1720
- 米金利の低下または利回り差の縮小: ドル資産を保有する見返りが小さくなれば、円を売る構造的な動機も弱まる。
- キャリートレードの巻き戻し: リスク回避が強まったり市場の変動率が上昇したりすれば、レバレッジをかけた円売りポジションの解消が進み、円買いが発生する可能性がある。
- エネルギー供給の安定: 湾岸地域の供給ショックが長引けば、日本の輸入コストはさらに上昇し、円の持続的な反発は難しくなる。2124
- 信頼できる介入政策: 公的な円買いは無秩序な動きを抑え、投資家のポジションを変える効果がある。ただし、金融政策の変化に裏付けられていると市場が信じるほど、介入の効果は高まりやすい。
15.4兆円規模の介入が示したのは、介入は「時間」を買えても、必ずしも「トレンド」を買えるわけではないということだ。日本は急激な円安をいったん止め、米国の支援も取り付けた。しかし、次の持続的な円の方向を決めるのは、追加介入の金額だけではない。日米金利差、キャリートレードの採算性、そして中東発のエネルギーショックが、円に有利な方向へ動くかどうかが鍵になる。