終盤の主導権を握ったのはスーダル・クイックステップだった。残り1kmへ向けてジャスパー・ストゥイヴェンが先頭集団を牽引し、マニエはその背後で絶好の位置を確保。ストゥイヴェンが残り500m付近で仕事を終えると、マニエは自らのタイミングでスプリントを開始した。
今回の勝利は、マニエにとって単なる集団スプリントの勝利以上の意味を持つ。マニエは2026年のジロ・デ・イタリアでステージ3勝を挙げた後、ツール・ド・フランスを欠場し、夏のブレークを過ごしていた。ハンブルクは、その後のレース復帰戦だったと報じられている。
デル・トロのレースは序盤から波乱含みだった。フィードゾーンで補給を受ける際、ソワヌールのバッグに絡まって落車。それでも再び自転車にまたがって走行を続け、終盤には最後のワーゼベルクで集団を揺さぶる攻撃に出た。
ハンブルクは、2026年ツール・ド・フランスで総合3位に入って以来、デル・トロにとって初めての実戦だった。大会直前には、UAEチーム・エミレーツXRGとの契約を2031年シーズン終了まで延長することも発表されていた。
また、ツール終了後のデル・トロが、恋人のロミナ・イノホサをツール・ド・フランス・ファムで応援したとも報じられている。ただし、具体的に「数週間」そうしていたという点を裏付ける十分な証拠は確認できないため、確定情報として扱うことはできない。
マニエの勝利を決めたのは、ゴール前の瞬発力だけではなかった。デル・トロのワーゼベルク攻撃が有力なライバルをふるいにかけ、ストゥイヴェンが終盤の隊列を整え、最後にマニエが縮小された集団スプリントを圧倒した。