この状況に対し、前日の第14ステージでマリア・ローザを奪取したばかりの**ヨナス・ヴィンゲゴー(ヴィスマ・リースアバイク)**が動いた。彼は1周を終えた直後、自ら集団を離れてレース審判の車両まで下がり、車に手をかけながら、強い口調で対策を要求したのだ。その様子は映像にも捉えられている 。
彼の要求は極めて異例なものだった。通常、グランツールの平坦ステージで総合タイムが中立化(集団ゴールと同タイム扱い)されるのは、残り3kmから5km地点での落車などの混乱を考慮する場合が一般的だ。だがヴィンゲゴーは「最終周回に入る手前、つまり残り16.3km地点で総合タイムを確定させてほしい」と主張した 。これにより、総合争いに関わる有力選手たちは危険な最終周回を安全に流せる一方、ステージ優勝争いだけは継続される、という前代未聞の展開を求めたのである。
「ボトルを取ったり、ジェルを補給しようとして『安全だ』と感じた瞬間は一度もなかった」とヴィンゲゴーはレース後に語り、路面は「終始、悪い状態だった」と説明している 。そしてピンクジャージの「影響力」について問われると、「もしピンクジャージでなくても同じ行動をとったと思う。しかし、このジャージがあることで、確かに発言はより重くなる」と認めている 。
レース中に行われた緊迫した交渉の末、審判団はヴィンゲゴーの要求を異例の形で受け入れた。「総合タイムは最終周回の開始時点(残り16.3km)で計測する」という決定がレース中に下されたのである。この決定は現場に大きな混乱と、一部からは強い反発を引き起こした 。
総合タイムが早々に中立化されたことは、ステージそのものの力学を根底から変えた。総合系チームは最終周回でペースを緩めることが確定し、これまで逃げ集団をコントロールするために集団前方で列車を組んでいたスプリンターチームの統率は、一瞬にして霧散してしまった。
これを見逃さなかったのが、4名で形成されていた逃げ集団だ。これまで集団に厳しくタイム差を管理されていた彼らは、突如として追走の手が緩んだ隙に差を拡大。平均速度51km/h超という猛ペースを維持し、吸収されることなくフィニッシュを目指した 。
そして、この混乱を制したのは、ノルウェーのプロコンチネンタルチーム、ウノエックス・モビリティのフレドリック・ドヴェルスネスだった。彼は逃げ集団内でのスプリントを完璧に制し、キャリア最大の勝利を手にする 。2位以下にはミルコ・マエストリ、マルティン・マルチェッルージ、ダヴィデ・バイスのイタリア勢が続いた 。
スプリンターたちにとっては悪夢である。この日は2026年ジロで「最も純粋なスプリンター向けステージ」と評され、彼らのために用意されたと言っても過言ではない一日だった 。にもかかわらず、彼らは平坦コースでの逃げ切りを許し、まさに「実現しなかった、確実と思われた集団スプリント」として、レース史に刻まれることになった 。
なお、この結果によって総合順位に変動は生じず、ヴィンゲゴーはリードを保ったまま休息日を迎えることになる 。
もし総合中立化をめぐる騒動が「政治的な嵐」だったとすれば、レースの最終盤を襲ったのは「肉体的な暴力」だった。
逃げ集団がフィニッシュする少し後方、集団内では残りの順位をかけたスプリントが繰り広げられていた。その位置取り争いの中で、バルディアーニCSF7セイバーのイタリア人選手、**エンリコ・ザノンチェッロ(28歳)**の緊張が暴発する。
映像には、ザノンチェッロがスプリント中に急激に右へと進路を変え、ジェイコ・アルウラーの英国人選手ロバート・ドナルドソンに意図的に頭突きを食らわせる瞬間が捉えられていた 。この衝撃でバランスを失ったドナルドソンは、高速走行の中で激しく落車した 。
レース審判団の判断は迅速かつ厳格だった。映像を確認した後、ザノンチェッロに対して2026年大会で初となる「レースからの失格処分」が即座に言い渡される 。さらに、1000スイスフラン(約17万円)の罰金、UCI(国際自転車競技連合)の懲戒制度に基づくイエローカード、そしてポイント賞から13ポイントの剥奪という処分が科せられた 。
審判団の公式コミュニケでは、彼の行為は「選択した進路から逸脱し、他の選手を危険にさらした(頭部による打撃)」と、極めて異例の表現で記載されている 。また、この頭突きによる落車以外にも、劣悪な路面が原因で、最終周回の市街地では複数の小規模な落車が発生していたことが報告されている 。
ジロ第15ステージは、様々な立場の選手たちに苦い後味を残した。スプリンターたちは自分たちのために用意されたはずのチャンスが奪われたことに激怒した。ファンや評論家の間では、「コースが安全でないなら全員が走るのをやめるべきではないか」「レース途中での総合中立化は危険な前例になりうる」といった批判が巻き起こった 。一方で、選手の安全を最優先に考えたヴィンゲゴーのリーダーシップを擁護する声も根強い 。
伏兵チームにとっての明るい話題となったドヴェルスネスの金星でさえ、混乱に乗じたものだとか、バイクの風よけの恩恵を受けたのではないかといった議論と無縁ではいられなかった 。そしてザノンチェッロの一瞬の激情が、忘れがたい後味の悪さを決定づけた。
総合順位は動かず、ヴィンゲゴーがピンクジャージを守ったが、ミラノでの出来事は、「平坦なスプリンターステージ」という一言では決して片付けられない、現代グランツールが抱える安全問題と、勝負の非情さを浮き彫りにしたのだった。