フアンは、成功した起業家の多くが後になって「また同じことをやる」と語ることについて、少し懐疑的だ。
成功のあとでは、苦しかった記憶は薄れやすい。結果として、起業の現実がロマン化されてしまうことがある。
しかし実際には、創業者の日常は華やかなものではない。
・失敗の恐怖
・世間からの批判
・社員や投資家の生活を背負う責任
こうしたプレッシャーが、何年も続くことになる。
現在のNVIDIAはAI用GPUで世界をリードしているが、創業初期は極めて不安定だった。
会社は何度も消滅寸前の状態に追い込まれている。
NVIDIAの初期製品「NV1」は、当時の業界標準と異なる技術を採用していた。
しかしその設計は、後に主流となるMicrosoftのDirectXと互換性がなく、結果的に技術戦略の大きな失敗となった。
スタートアップにとって、これは致命的な問題だった。
1990年代半ば、NVIDIAの資金はほぼ枯渇し、会社が生き延びられる期間は約30日しかなかったとされる。
当時の命綱は、日本のゲーム会社セガ向けに開発していたグラフィックチップの契約だった。
しかしフアンは、そのチップの設計自体が根本的に間違っていることに気づく。
そこで彼は大胆な決断をする。
日本へ飛び、セガの幹部にこう伝えた。
通常なら契約破棄で終わる状況だが、最終的に契約の残額を約500万ドルの投資に転換することで合意する。
この資金が、NVIDIAに数か月の猶予を与えた。
もしこの決断がなければ、会社は消えていた可能性が高い。
資金不足は社内にも影響した。
NVIDIAはレイオフ(人員削減)や組織再編を行いながら、生き残るための製品戦略を探し続けた。
CEOであるフアンにとっては、会社の失敗の責任を一身に背負う立場でもあった。
NV1の失敗後、NVIDIAは大きく方向転換する。
業界標準に合わせた新しいGPU設計に移行し、PCゲーム市場で評価される製品を次々と投入していった。
この経験から生まれたのが、NVIDIAの特徴ともいえる戦略だ。
この姿勢は後に、ゲーム向けGPUメーカーからAI計算インフラの中心企業へと進化する基盤になった。
フアンの発言が印象的なのは、現在のNVIDIAの立場を考えると特にそうだ。
AIブームによって同社のGPUは、人工知能モデルの学習や推論に不可欠な存在となった。
その結果、NVIDIAの時価総額は5兆ドルを突破し、世界で最も価値の高い上場企業となっている。
外から見ると、この成功は必然のように見える。
しかしフアンの話が示しているのは、その裏側だ。
NVIDIAの歴史は、何度も失敗寸前に追い込まれながら続いた長い戦いだった。
フアンの言葉は、スタートアップの世界にある一つの矛盾を表している。
もし起業家が最初から、すべての苦しみとリスクを正確に理解していたら、多くの会社は生まれないかもしれない。
それでも誰かが挑戦するからこそ、世界を変える企業が生まれる。
NVIDIAの物語は、まさにその典型例だ。