富士通が2026年9月8日に発表したのは、大規模な誤り耐性量子コンピュータの完成ではない。ダイヤモンド中のスズ・空孔(SnV)センターを量子ビットとして使い、それをフォトニクス集積回路に直接組み込んだ、量子ゲート動作可能なダイヤモンドスピン方式量子コンピュータの試作機だ。富士通は、この構成を世界初の動作するプロトタイプと位置付けている。将来は光で複数の量子コンピューティング・モジュールを結び、大規模化するための土台という位置付けである。
2
11
何を作ったのか
SnVセンターは、ダイヤモンド結晶内でスズ原子と空孔がつくる構造で、ここにあるスピンを量子ビットとして利用する。今回の試作機では、この量子ビットとオンチップの光回路を集積した。光は量子ビットの制御や状態の読み出しに使われ、富士通が描く拡張モデルでは、別々のモジュールを接続する役割も担う。
2
11
これは超伝導量子ビットを用いる方式とは異なるアプローチだ。富士通が重視するのは、短期的に超伝導方式を置き換えることではなく、高い忠実度が期待されるダイヤモンドスピンと光接続を組み合わせ、モジュール型の量子計算基盤を育てることにある。
2
なぜ「光回路との集積」が重要なのか
量子コンピュータを大規模化する際の難所は、壊れやすい量子情報を保ったまま、利用可能な量子ビットをつなぐことだ。今回の構成では、ダイヤモンド量子ビットとフォトニクス部品を同一システム内に置き、制御光やSnVセンターからの信号光を光導波路で扱う。
富士通の技術資料によると、SnVセンターの制御光・信号光に使う可視光帯で低損失な、アルミナ製の光導波路回路を採用した。
11
富士通は、試作機の実現を支えた要素として次の3点を挙げている。
- ダイヤモンドスピン方式向けの量子回路変換・量子ビット制御技術
- ダイヤモンドとアルミナ/二酸化ケイ素構造の異種材料接合・薄層化技術
- SnVセンターに対応するフォトニクス集積回路の作製技術
2
13
重要なのは、研究室内の物理デバイスにとどめず、一般的な量子コンピューティングのワークフローから使える形へ近づけようとしている点だ。
動作温度は約マイナス271.6℃、クラウド経由で利用を実証
試作機の動作温度は約マイナス271.6℃。富士通が典型例として示す超伝導方式の約マイナス273.13℃よりは高い温度で動くが、特殊な冷却設備を必要とする極低温システムであることに変わりはない。
2
富士通は、自社の「Fujitsu Hybrid Quantum Computing Platform」経由で試作機を利用できることも実証した。量子回路変換機能により、利用者はダイヤモンドスピン方式固有の操作を直接意識せずに量子回路を投入できるという。
2
13
2020年開始の共同研究が基盤
開発は、富士通、デルフト工科大学、同大学の量子技術研究機関QuTechが2020年に始めた共同研究の成果に基づく。
1
2
富士通は関連する研究成果として、2025年3月に誤り確率0.1%未満の普遍ゲートセットをダイヤモンドスピンで実証したことや、窒素・空孔(NV)センターを用いた遠隔量子もつれ、ゲート操作の実証を挙げる。これらが、SnVセンターと光回路を組み合わせた今回の試作機の研究基盤となった。
2
次の目標は2027年の複数モジュール化
今回発表された装置は、あくまで単一モジュールの試作機だ。250論理量子ビットや1,000論理量子ビットを備えた装置ではない。これらは今回の実証値ではなく、富士通の開発目標である。
2
8
同社が示す主なロードマップは以下の通り。
- 2027年:複数モジュールのダイヤモンドスピン方式試作機
- 2030年度以降:ダイヤモンドスピン方式と超伝導方式の統合に向けた研究
- 2030年度:250論理量子ビットを目標
- 2035年度:1,000論理量子ビットを目標
2
38
したがって、今後の評価で最も重要になるのは、モジュール同士を光で安定して接続し、実際に拡張できることを示せるかどうかだ。単一モジュールでの動作達成は節目だが、大規模化の実証は次の段階に残されている。
2
8
超伝導方式も並行して開発
ダイヤモンドスピン方式は、富士通の超伝導方式プログラムを置き換えるものではない。富士通は2025年、2030年度の構築完了を目標に、1万物理量子ビット超の超伝導量子コンピュータに向けた研究開発を始めた。この計画では250論理量子ビットでの動作を目指している。
36
つまり富士通は、超伝導方式による大規模な物理量子ビットの開発と、光接続に適したダイヤモンドスピン・モジュールの開発を並行させている。今回の発表は、日本の量子ハードウェア開発が単一方式への賭けではなく、複数の技術経路を追う局面にあることを示すものといえる。
一方、NECが2026年3月末で物理量子コンピュータのハードウェア開発を終了したとする報道も出ている。これはNECによる製品発表ではなく、報道機関が伝えた内容である。
17
18