この数字を「政府が1ユーロ使えば、国の富が恒久的に1ユーロ増える」という意味に受け取ることはできません。効果は、支出の実行時期、景気の状態、購入する装備の種類、さらに生産拠点が欧州域内か域外かによって変わります。
直近のユーロシステムの経済見通しでは、防衛やインフラ関連の財政刺激がユーロ圏の成長を支える要因として織り込まれています。効果は見通し期間を通じて徐々に強まり、2028年までのユーロ圏GDPを累積で0.5%押し上げると評価されています。
金融政策にとって重要なのは、政府がどれだけの防衛費を掲げたかだけではありません。その支出が需要と供給、そしてインフレの持続性にどう影響するかです。
防衛支出が段階的に増え、企業が増産しやすく、労働者も新たな発注先へ移動できるなら、物価への影響は比較的抑えられる可能性があります。反対に、調達が短期間に集中すれば、熟練労働者、設計・エンジニアリング能力、特殊素材、産業用部品などでボトルネックが生じかねません。
金融政策への波及は、主に二つの経路で考えられます。
ECBのモデルでは、調査対象のシナリオにおいて実質GDPへの効果はプラス、インフレへの平均的な影響は穏やかとされています。ただし、推計には大きな不確実性があります。 そのためECBは、防衛目標の発表だけに機械的に反応するのではなく、実際の支出、供給制約、賃金・物価の動きを見極める必要があります。
同じ防衛計画でも、各国が受ける財政圧力は一様ではありません。財政基盤が比較的強い国は、他の政策を直ちに圧迫せず支出を増やせるかもしれません。一方、債務残高が大きい国や財政余地の限られた国では、防衛、民間インフラ、公共サービス、債務の持続可能性の間で、より厳しい選択を迫られます。
ECBは、防衛支出が2025年のGDP比約2%から2029年に3.5%へ上昇するシナリオを分析しています。これは2029年までにGDP比約1.8%の財政緩和に相当します。 ただし、これはユーロ圏全体を対象とした前提であり、すべての加盟国が同じ道筋をたどり、同じ影響を受けるという予測ではありません。
資金の調達方法によっても、景気への伝わり方は変わります。
もっとも、これらは経済の仕組みを示すもので、結果を保証するものではありません。支払いの時期、財政計画の信頼性、金融市場の反応によって効果は変わります。
防衛装備や関連サービスを欧州企業が供給できれば、支出は域内の生産や雇用に結び付きやすくなります。ECBの金融安定報告書も、防衛装備をEU域内から調達する場合、財政乗数が高くなる可能性を指摘しています。
反対に、域外企業からの調達が増えれば、需要の一部は欧州の外へ流出します。軍事的な価値は確保できても、欧州域内の生産を押し上げる即時効果や、地域の産業基盤を育てる効果は小さくなります。
共同調達、装備の相互運用性、欧州域内の生産能力の拡大は、安全保障面と経済面の双方で投資効果を高める可能性があります。ただし、その恩恵は自動的に生じるわけではありません。重複投資を避け、調達を効率化し、需要に間に合う速度で供給能力を築けるかが鍵になります。
防衛分野の研究開発は、技術が民生分野へ広がれば、生産性やイノベーションを押し上げる可能性があります。ECBは、防衛に加えて、欧州のグリーン化・デジタル化にも大規模な公的資金が必要になる点を強調しています。
ただし、軍事支出が必ず経済的なリターンを生むと考えるべきではありません。効果は、調達の質、研究成果の普及、民間企業による採用、防衛投資が生産性の高い民間投資を押しのけないことに左右されます。
ECBの分析を一言でまとめるなら、欧州の防衛力増強には景気を支える力があるものの、無条件の成長策ではないということです。政府支出の2年間の平均乗数は0.93と、ほぼ1に近い水準と推計されています。 しかし、支出が供給能力の拡大より速く進み、域外調達に偏り、国ごとの債務負担が民間投資を圧迫すれば、経済的な見返りは小さくなります。
金融政策にとっての焦点は、防衛支出の規模だけでなく、そのペース、内容、そして物価への転嫁です。各国政府にとっての課題は、安全保障上必要な増強を進めながら、それを管理されない需要ショックや、欧州内の財政格差の拡大につなげないことにあります。