この影響を受けやすいのが、満期の長い債券だ。30年債を買う投資家は、数十年にわたる物価と金利の不確実性を引き受ける。将来のインフレ率や政策金利が従来の想定より高くなると見れば、投資家はそのリスクを負う見返りとして、より高い利回りを要求する。
戦争は、原油価格が一時的に上昇するかどうかだけでなく、供給途絶や紛争拡大、政策の不安定化といった「地政学的リスク上乗せ分」も市場に織り込ませた。
国債の供給が増えただけで、必ず利回りが上がるわけではない。十分な需要があれば、市場は新規発行を吸収できるからだ。今回の懸念は、発行額が増える一方で、米国債を買ってきた公的部門の需要が以前ほど頼りにならないことだった。
この構図では、悪循環も起こり得る。利回りが上昇すれば政府の利払い費が増え、債務返済の負担が重くなる。財政赤字が大きいままであれば、将来の借り入れ需要もさらに増えるため、投資家は長期債に対して一段と高い補償を求める。
今回の動きは、主要市場に共通する再評価だった。
国債市場は、各国の投資家が同じ世界の資金を配分する場でもある。ある国の利回りが上がれば、投資家は為替変動を含めて他国の債券と比較する。日本の金利上昇は、日本の投資家が海外債券を買い続けるのか、それとも資金を国内に戻すのかという問題も浮上させ、米国債の需要見通しを不透明にした。
AIインフラを整備するテクノロジー企業も、巨額の資金を必要としている。SIFMA(米国証券業金融市場協会)のデータを引用した報道によれば、米国の社債発行額は1月から8月半ばまでに1兆6,800億ドルとなり、前年同期を約27%上回った。
より説得力のある説明は、政府の大量発行、企業の資金調達、原油高によるインフレ懸念、そして従来の債券買い手への不安が一度に重なったというものだ。
市場は、景気減速と原油高によるインフレ継続を同時に考えなければならなかった。インフレが高止まりすれば、FRBは利下げを進めにくい。さらに、FRBの先行きに関する情報発信が明確でなかったことで、将来の政策金利を見積もる難しさが増した。
ここで重要になるのがタームプレミアムだ。これは、短期債を繰り返し買い替えるのではなく、満期が遠い債券を長期間保有することに対して投資家が求める追加の利回りを指す。インフレ、財政政策、国債供給、地政学、将来の買い手といった予測しにくい要素への警戒が強まると、この上乗せ分は大きくなる。
債券市場の変化は、国債投資家だけの問題ではない。
国債利回りを基準とする社債や銀行融資の金利も上昇しやすい。企業は新規投資、買収、採用、事業拡張、既存債務の借り換えで、より高いコストを負うことになる。債務の多い企業ほど影響は大きい。
AIインフラ投資には二重の圧力がかかる。建設や設備拡張に巨額の資本が必要な一方、資金調達コストが上がることで、採算性の低いプロジェクトは先送りされやすくなる。AI投資が止まるという意味ではないが、資金の選別が厳しくなる。
安全資産である国債の利回りが上がると、将来得られる利益の現在価値は低下する。そのため、遠い将来の成長を織り込んで高く評価されている成長株やハイテク株は、特に売られやすい。8月18日にはナスダックが1.33%下落し、フィラデルフィア半導体株指数は5%下落した。
8月19日、米財務省は10~30年債を対象とした買い戻しの1回当たり規模を、20億ドルから少なくとも40億ドルへ倍増すると発表した。目的は政府の資金需要そのものをなくすことではなく、満期の長い債券市場の流動性を支えることだった。
ただし、これは主に短期的な措置だった。買い戻しの増額分は今四半期で少なくとも140億ドルと見積もられ、約31兆ドル規模の米国債市場や政府全体の債務需要と比べれば小さい。 買い戻しは流動性を改善し、市場に出回る長期債の一部を減らせるものの、インフレ、財政赤字、将来の発行額、民間・海外投資家の需要を根本的に解決するわけではない。
長期金利の上昇圧力が続くかどうかは、複数の要因に左右される。
今回の局面を、単なる流動性ショックとみるか、長期リスクの構造的な再評価とみるかが重要だ。米財務省の買い戻しは前者を和らげたが、持続的な金利低下には、インフレ見通し、原油市場、財政への信認、民間・海外需要の改善が必要になる。
実生活へのメッセージは明快だ。中央銀行が政策金利を据え置いていても、住宅ローンや企業融資などの長期借り入れコストは上昇し得る。債券市場が織り込んでいるのは、今日の政策金利だけではない。これから数十年にわたって物価、政府債務、資金需要、不確実性がどう推移するかという見通しなのである。