Bending SpoonsによるMiro買収は、パンデミック期に高騰したSaaS企業の評価額が、現在のM&A市場でどう見直されているかを端的に示す案件だ。
Miroは年間経常収益(ARR)約6億ドル、約400万人の有料ユーザーを持ち、売上の約9割は法人・エンタープライズ顧客から得ている。一方、提示された企業価値は13億5,500万ドル。つまり買い手は、過去の話題性やピーク時の未公開株評価ではなく、継続収益の質と将来の運営可能性を中心に値付けしている。
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取引条件:企業価値13.55億ドル、株主価値は約17.9億ドル
NASDAQ上場のBending Spoons S.p.A.は、Miroを全額現金で買収する最終契約を結んだ。公表された企業価値(EV)は13億5,500万ドル。Miroの純現金を加えると、株主に帰属する価値である株主価値(エクイティ・バリュー)は約17億9,000万ドルとなる。
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Miroの一部株主は、売却代金のうち2億9,500万ドルをBending Spoonsの新規発行株式に再投資することに合意している。これは買収後のBending Spoonsの成長にも参加する仕組みだが、Miroの買収対価そのものが全額現金である点は変わらない。
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両社の取締役会は全会一致で取引を承認した。規制当局の承認など通常のクロージング条件を満たすことを前提に、完了は2026年第4四半期が予定されている。完了までMiroは通常どおり事業を続けるとしている。
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ARRの約2.3倍という評価は何を意味するのか
MiroのARR約6億ドルに対し、企業価値13億5,500万ドルは約2.26倍、一般的には約2.3倍のEV/ARRに相当する。
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ここで用いるべきなのは、株主価値ではなく企業価値だ。企業価値は事業そのものの価値を表し、手元資金や資本構成の影響を取り除いて比較できる。株主価値17億9,000万ドルで計算すればARRの約3.0倍になるが、事業価値の倍率としては同列に比較できない。
対照的なのが2022年1月の資金調達だ。MiroはシリーズCで4億ドルを調達し、ポストマネー評価額は175億ドル、累計調達額は4億7,600万ドルに達した。投資家にはICONIQ Growth、Accel、Atlassian、Dragoneer、GIC、Salesforce Ventures、TCVが名を連ねた。
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当時の175億ドルと今回の株主価値約17億9,000万ドルを比べると、約90%低い水準となる。ただし前者は資金調達時の株主価値、後者は買収時の株主価値であり、企業価値13億5,500万ドルと175億ドルを直接比べるのは、厳密には同じ尺度同士の比較ではない。
Bending Spoonsが買うのは「オンラインホワイトボード」だけではない
Miroは、無料ユーザーを多く抱えるデジタルホワイトボードにとどまらない。約400万人の有料ユーザーと約6億ドルのARRを持つ、法人・大企業向け比重の高いコラボレーション事業だ。
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2022年のシリーズC発表時、Miroはユーザー数3,000万人への到達を公表していた。現在の取引ではさらに大きな利用基盤が示されているが、買収価格の中心にあるのはユーザー数そのものではない。エンタープライズ顧客の継続利用、利益率、成長率、プロダクトの競争力、顧客を支えるコストといった収益基盤の耐久性である。
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大きなユーザー基盤は新規顧客獲得や有料転換に有利に働きうる。しかし成熟したSaaS企業を買う側にとって、より重要なのは、売上がどれだけ安定し、収益性を損なわずに製品価値を維持・強化できるかだ。
Airtable買収とつながる戦略
Bending SpoonsはMiroの契約発表の直前、ワークフロー・データ管理プラットフォームのAirtable買収を完了した。Airtableは50万超の組織に利用されている。
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両サービスの主な役割は隣接している。
- Airtable:業務データを整理し、重要なワークフローを管理する。
- Miro:企画、発想、デザイン、部門横断の共同作業を視覚的に進める。
直接の代替サービスではないが、法人顧客との関係、利用シーン、インフラ投資、AIを活用した仕事環境の開発という点で、ポートフォリオとしての筋は通る。もっとも、具体的な製品統合は発表されていないため、相乗効果は現時点では可能性として捉えるべきだ。
Bending Spoonsは、Miroのパフォーマンス、信頼性、重要なコラボレーション機能に投資する意向を表明している。
27 狙いは2022年の評価倍率を取り戻すことというより、法人向けの継続収益事業を、より大きなソフトウェア群の中で成長・効率化できるかにある。
最大の注目点は買収後の実行
現時点で、Miroの人員削減、料金改定、無料プランの変更は発表されていない。買収完了前に、これらを既定路線として扱うべきではない。
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ただし、Bending Spoonsの過去の運営方針は、顧客や従業員が注視する理由になる。同社はWeTransfer買収後、従業員の75%を削減する方針を表明した。
40 この前例だけでMiroでも同規模の削減が起きると結論づけることはできず、具体的な削減率を予測する根拠にもならない。
一方で、継続収益が強い事業ではコスト規律がキャッシュ創出力を高める場合がある。反面、過度な再編は、エンタープライズ向けコラボレーション製品で重要な開発速度、安定稼働、顧客サポート、セキュリティ、信頼を損なうリスクもある。この買収の成否は、運営効率を上げながら、法人顧客の契約継続を支える能力を維持できるかにかかっている。
SaaSの評価額は「過去の資金調達額」では決まらない
Miroのケースは、2021〜22年の未公開市場における価格と、現在の戦略的買い手による評価の隔たりを鮮明に示す。リモートワーク需要が急拡大した2022年、Miroは175億ドルと評価された。今回の取引では、報告されたARRに対して企業価値ベースで約2.3倍となる。
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これはMiroの事業が失敗したことを意味しない。ARR、有料ユーザー数、法人売上比率からは、相当な規模の事業であることがうかがえる。むしろ買い手が、持続的な成長、顧客維持、利益率、キャッシュ創出、競争上の立ち位置、製品リーダーシップを保つためのコストを、以前より厳しく評価していることを示す。
2021年の強気相場で高い評価額を付けた生産性・コラボレーション系企業にも、同じねじれは起こりうる。過去の資金調達時の評価額は、将来の売却価格の下限ではない。あくまで当時の投資家が置いた参照点であり、現在の事業成績とリスクに対する買い手の見方とは一致しないことがある。
SaaS企業はARRの2.5倍前後で売るべきか
一律の答えはない。ARR倍率だけでは、売却が妥当かを判断できないためだ。収益の質は企業ごとに大きく異なる。
検討すべき主な論点は次の通りだ。
- 成長率と顧客維持:売上はなお伸びているか。顧客は更新し、利用額を増やしているか。
- 利益率とキャッシュ創出:製品品質を損なわず、持続可能なフリーキャッシュフローに到達できるか。
- 競争優位:乗り換えコスト、顧客関係、製品差別化は長く維持できるか。
- 資金余力と希薄化:独立して実行する時間はあるか。次の資金調達は難しく、大きな希薄化を伴うか。
- 買い手の選択肢:競合入札が期待できるのか、それとも現行の買い手が唯一の有力候補か。
- AIの収支:AIは顧客価値や売上拡大を実証しているか。それともインフラ・開発コストを主に増やしているか。
高成長で、エンタープライズ顧客の定着が強く、複数の買い手が見込める企業なら、ARRの2.5倍は低すぎる可能性がある。反対に、成長が鈍化し、資金調達環境が厳しく、キャッシュ創出への道筋が弱い企業では、倍率の回復を待つより、信頼できる提示を受け入れる方が合理的なこともある。
Miroの取引がSaaSの共通価格を決めたわけではない。ただし、規模の大きさや2021年型の有名な評価額だけでは高値売却を保証しない、という厳しい基準を示した。今の市場で買い手が払うのは、売上の持続性と、それを実現するための実行可能な運営計画だ。