研究成果は、2026年7月付で米国物理学会誌『Physical Review Letters』に「Editors' Suggestion(編集者推薦)」として掲載されました。
実験システムは、2つの量子メモリーノード(「アリス(Alice)」と「ボブ(Bob)」)と、その中間に位置する中央測定ノード(「チャーリー(Charlie)」)で構成されています。各メモリーノードは、レーザーで冷却・捕捉されたルビジウム87原子の雲です。量子もつれの生成には、DLCZ(Duan-Lukin-Cirac-Zoller)方式と呼ばれるプロトコルが用いられました。この方式では、各メモリーが確率的に単一光子を放出し、その光子を中央ノードで検出することで、2つのメモリー間に量子もつれが生じたことを確認します。
420kmという長距離を克服するため、研究チームは以下の3つの大きな技術的課題を解決しました。
1. 波長変換: ルビジウムメモリーは自然に約780nm(近赤外線)の光子を放出します。この波長では光ファイバー内での吸収が大きく、長距離伝送には適しません。そこでチームは、各光子の波長を標準的な光通信で用いられるテレコム帯(約1550nm)に変換することで、信号が数百kmの光ファイバーを吸収されることなく伝わるようにしました。
2. 能動的な安定化: 420kmもの長距離の光ファイバーでは、温度変化や振動などの機械的影響により、単一光子干渉に必要な位相関係が容易に破壊されます。研究チームは、これらの変動を継続的に補償する安定化システムを導入し、全長にわたってコヒーレンス(位相の一貫性)を維持することに成功しました。
3. 単一光子干渉: 量子もつれを生み出す核心となる測定は、中央ノードで行われます。このノードでは、アリスとボブからの光子が干渉します。このような長距離にわたって、単一光子レベルで安定した干渉を実現することは、主要な技術的挑戦でした。
今回の実験で最も重要な成果は、理論上の限界である「PLOB限界」を超えたことです。PLOB限界とは、量子中継器を使わない場合に、損失のある通信路を通じて量子もつれを分配できる理論上の最大速度を指します。今回の実験では、約230kmを超える距離でメモリー間のもつれ確率がこのPLOB限界を上回り、距離が420kmに達するにつれてその優位性はさらに拡大しました。これは、メモリーベースの方式でこの理論的限界を超えた初めての実証例です。
また、研究チームは、メモリー支援方式が約320kmを超える距離で、直接的な光ファイバーもつれ分配方式よりも優れた性能を発揮することも実証しました。これは、メモリーベースの方式ではもつれ確率がチャネル透過率の平方根に比例するのに対し、直接伝送方式では透過率に比例するという根本的な違いによるもので、長距離においてメモリー方式が有利になる理由です。
都市圏から都市間へスケールアップ: 従来の光ファイバー方式による物質間もつれの記録は50~100km程度で、典型的な都市圏をカバーする範囲でした。420kmという距離は、東京-名古屋間(約350km)を超え、東京-大阪間(約500km)に迫るもので、現実的な都市間量子ネットワークの構築可能性を示しています。研究チームは、「本実験は、単一都市の規模を超えた量子ネットワークの応用を研究するためのテストベッドを提供する」と述べています。
メモリーベース量子ネットワークの有効性を実証: この結果は、量子メモリーが中継器なしの限界を超えつつ、実用的な光ファイバー長にわたってもつれを保存・通知できることを証明しています。これは、スケーラブルな量子中継器、ひいては本格的な量子インターネットを構築するための必須条件です。
既存の通信インフラとの互換性: 今回の実験で使用された主要コンポーネント(テレコム帯への波長変換、能動的光ファイバー安定化、冷原子メモリー)はすべて、標準的な光ファイバー機器と互換性があります。これは、現在の量子鍵配送(QKD)ネットワークから、メモリーを活用した長距離量子もつれ分配が可能な将来の量子インターネットへの現実的なアップグレードパスを示唆しています。
この画期的な成果には、重要な注意点もあります。これはあくまで実験室環境での実証であり、実際に敷設された光ファイバー回線を用いたものではありません。実験では、大学の実験室から合肥ソフトウェアパークの測定ノードまでの短い実環境区間を含むものの、大部分は実験室内に巻かれた光ファイバースプールで構成されていました。実用化には、実環境における光ファイバーの安定性確保、スイッチング・ルーティングハードウェアとの統合、複数ノードへのスケーリングなど、さらなる工学的課題の解決が必要です。
それでも、今回の成果は量子インターネットの実現に向けた確かな一歩であり、世界中の研究者が待ち望んだマイルストーンであることに変わりはありません。