それからわずか2日後、ブラジル・リオデジャネイロ市が所有するIT公社「IplanRIO」は、3970億パラメータという巨大なAIモデルを、誰でもダウンロード可能なMITライセンスの下で、Hugging Face上に公開した 。
このモデルの名は 「Rio 3.5 Open 397B」。AIへのアクセス権、技術主権、先端能力の分散化をめぐる世界的な議論において、この公開は一つの画期となる出来事だ。しかし、政治的な象徴性と技術的な現実を切り分けて理解することが不可欠である。
まず、このモデルの出自を明確にしよう。これは、地方自治体の小規模なITチームが一から訓練したモデルではない。リオデジャネイロ市のICT公社であるIplanRIOは、中国アリババ社の強力なオープンウェイト基盤モデル 「Qwen 3.5-397B-A17B」 を事後学習(ポストトレーニング)することで、このモデルを作成した 。開発チームはそのプロセスを「モデルマージと、より強力なモデルからの方策蒸留(On-Policy Distillation)」と説明している 。
その後のコミュニティによる分析では、このマージは、オープンソースモデル「Nex N2 Pro」と「Qwen 3.5」を約6:4の比率で組み合わせたものだと指摘されている 。つまり、Rio 3.5は、新規のアーキテクチャというよりは、既存モデルの非常に効果的な「リミックス」版である。しかし、その結果として公表された性能値が、世界の注目を集めたのだ。
公式のモデルカードに基づく技術仕様は、以下の通りで、いずれも印象的だ 。
IplanRIOがHugging Faceのモデルカードで公表した性能指標は驚異的で、ベースとなったQwen 3.5モデルからの大幅な向上と、世界最高水準のオープン・プロプライエタリシステムに匹敵する結果を主張している 。最も引用されている比較は以下の通りだ。
さらにモデルカードは、アリババ自身が新たに発表した 「Qwen 3.7 Plus」 に対して、5つの直接比較ベンチマーク中4つで勝利したと主張している 。もしこれが第三者機関によって独立して検証されれば、一地方自治体による微調整モデルが、エージェントによるコーディングや推論タスクにおいて、世界のトップクラスのオープンウェイトモデルと肩を並べることを意味する。
しかし、この熱狂の裏には、勝利宣言を急ぐべきではない複数の注意点が存在する。
1. アップロードのミス。 Hugging FaceのREADME自体が、その失態を謝罪している。チームは当初、最終的な蒸留済みモデルではなく、途中のマージ段階の誤ったバージョンをアップロードしてしまい、正しい重み付けファイルを再アップロードしなければならなかった 。少なくとも一時的には、公開されたファイルはベンチマークを記録したバージョンとは異なっていた可能性があり、その性能評価は慎重に見る必要がある。
2. 第三者による独立した検証が未完了。 これら話題のベンチマークスコアは、すべてモデルカード内の開発者自身による報告データだ。公開日時点で、どの第三者機関もこれらの結果を再現していない 。外部からの検証がなければ、蒸留プロセスが本当にターミナルベンチで20ポイントもの飛躍をもたらしたのか、あるいは数字が水増しされたものなのかを知る術はない。
3. 新規モデルではなく、巧妙な「リミックス」。 報告された訓練手法である「マージと蒸留」は、真にフロンティアな研究開発を定義づける、大規模なフルスクラッチ学習とは技術的に一線を画す 。コミュニティの調査では、このモデルがNex N2 ProとQwen 3.5の重み付けマージであることがすぐに特定された。Nexのチームは「種明かしをすると、これは我々のオープンソースモデルNex N2 Proが、違う帽子をかぶっただけのものだ」とコメントしている 。この成果は基礎科学にあるのではなく、統合と調整の妙にある。
「Rio 3.5 Open 397B」の真の重要性は、その公開前の48時間に起きた出来事という文脈に置いて初めて完全に理解できる。
2026年6月12日の夕方、Anthropic社は、米国商務省から、同社の2大モデルへの外国籍ユーザーによるアクセスを遮断するよう命じる指令を受け取った。理由は、国家安全保障上の懸念、特にモデルの安全策を回避する「Jailbreak(脱獄)」の潜在的可能性だ 。Anthropic社は、リアルタイムで米国籍ユーザーと外国籍ユーザーをシステム上で区別できないため、両モデルを全世界で完全にオフライン化せざるを得なかった 。
米国政府が特定の商用AIモデルのリコールを直接命令し、実現させたのはこれが初めてであり、関係者に激震が走った 。この措置は、AI輸出規制と、米国技術への欧州の依存に関する即時の議論を引き起こした 。
その空白地帯に、ブラジルの地方自治体のIT公社が飛び込んできたのだ。世界の二大AIガバナンスアプローチの対比が、単一のニュースサイクルの中で展開されたことになる。
この物語は、人工知能の地政学が変容する様を描く、あまりに完璧なケーススタディだ。この出来事は、最先端のAI能力が、超大国や数十億ドル規模のスタートアップだけでなく、グローバルなオープンソースのサプライチェーンを活用する、意欲的な地方のIT部門によっても構築・拡散されうることを示唆している 。
たとえリオ3.5が、純粋な研究上のブレークスルーというよりも、巧妙な工学的偉業と政治的パフォーマンスの成果であるとしても、このタイミングでの公開は、AI保護主義への象徴的なカウンターパンチとして歴史に記憶されるだろう。