報道によると、魏氏は2026年5月27日朝、予定していた海外出張を取りやめ、直接従業員との対話集会を開催した。この異例の行動自体が、危機の深刻さを物語っていた 。
この会合で、魏氏は三つのメッセージを明確に打ち出した。
魏CEOはさらに、従業員に自社株購入を推奨し、「TSMCのボーナスに上限はない」と繰り返すことで、会社の成長軌道と従業員の待遇が一致していることを強調した 。
この騒動の背景にあった「ボーナス削減」という構図は、数字を見れば一瞬で誤りだとわかる。TSMCの社員報酬は、むしろ記録的な速度で膨らんでいた。
2026年2月、TSMC取締役会は2025年度の業績に対する総額2061.5億台湾ドル(約65.4億米ドル) という過去最高のボーナス原資を承認した。これは前年度の1405億台湾ドルから実に46.6%増という驚異的な伸びである 。
この巨額の原資は、2つに分割される。
なお、2025年8月に支給された前年度分の利益分配金だけでも、一人当たり平均200万台湾ドル(約1000万円)超と当時史上最高を記録。前年から50万台湾ドル(約250万円)以上の増加となっていた 。
従業員の怒りは、真空から生まれたわけではない。「過去最高益」という絶頂と、「個人の報酬削減」という恐怖という、耐えがたいほどのコントラストによって引き起こされたのだ。
この騒動がより深刻に受け止められたのは、企業業績があまりにも順調だったからだ。
| 指標 | 数値 |
|---|---|
| 2025年 通期連結売上高 | 3兆8095億台湾ドル(約1160億米ドル) |
| 2025年 通期純利益 | 1兆7178億台湾ドル(約525億米ドル) |
| 2025年 売上高成長率(前年比) | +35.9% |
| 2025年Q4 粗利益率 | 62.3% |
| 2026年 設備投資予算 | 449.6億米ドル(過去最高) |
主にAI分野からの爆発的な需要に牽引されたこの財務的な余力は、CEOによる否定を待つまでもなく、ボーナス削減の噂を戦略的に無謀なものに見せていた。
TSMCの「ボーナス危機」は、孤立した出来事ではない。半導体業界全体が、AIブームを背景に、稀少なエンジニアを奪い合う熾烈な「人材戦争」の真っ只中にある。台湾の半導体セクターだけでも、毎月約3万4000人の人材が不足しており、三大陸で同時に工場を建設するTSMCは、かつてない離職防止のプレッシャーにさらされている 。
ライバル企業の労働争議は、TSMCの従業員に強力なテンプレートを提供した。約3万人の半導体部門の組合員を抱えるサムスン電子の労働組合は、営業利益の約13%相当の利益分配案を拒否し、営業利益の15%の分配と7%の基本給アップを要求。2026年6月には18日間に及ぶ長期ストライキも辞さない構えを見せていた 。
TSMCの従業員が社内掲示板でサムスンを引き合いに出し、「好況下で韓国の労働者が団結して賃上げを勝ち取っているのに、なぜ我々は同じことをしないのか」と議論し始めたこと自体が、大きなイデオロギーの転換を示している。長年にわたり、反組合的な企業文化そのものが「競争力の堀」と見なされてきたTSMCにとって、この流れは生命線を脅かすものだ。
魏CEOがスケジュールを全て空け、具体的な増加率を示し、直接対話に乗り出すという異例のスピードでこの危機を解体したことは、この前例が持つ危険性を、経営陣が誰よりも深く理解していた証拠と言えるだろう。