特筆すべきは、この事件が単なるコードのバグやスマートコントラクトの脆弱性を突いたものではなかった点です。TRM Labs、Elliptic、Chainalysisといったブロックチェーン分析企業は、この攻撃を北朝鮮政府と関連が深いハッカーグループUNC4736(別名:AppleJeus、Citrine Sleet、Lazarus Group)の仕業と断定しています。
攻撃の本質は、人間の心理や組織のガバナンスプロセスを標的にした、高度なソーシャルエンジニアリングでした。
攻撃者は数カ月をかけて準備を進めました。その手口は、以下のように多段的で綿密なものでした。
攻撃者はまず、**CarbonVote Token(CVT)**という無価値のトークンを、7.5億枚発行しました。
次に、Solana上の分散型取引所Raydiumにわずか500ドルの流動性プールを設置。自ら売買を繰り返す「ウォッシュトレーディング」を行い、Driftの価格オラクルにCVTの価格が約1ドルであると認識させました。
攻撃者は本物の定量取引会社(クオンツファーム)の関係者を装い、カンファレンス会場でDriftのマルチシグ署名者に接触。数カ月にわたって関係を構築し、信頼を得ることに成功しました。
攻撃者は、マルチシグ署名者に対し、一見すると通常のトランザクションに見える書類に事前署名させました。しかし、この署名の真の目的は、Driftのセキュリティカウンシル(緊急時の管理権限を持つ組織)の管理者権限を攻撃者に譲渡することだったのです。
Solanaには、トランザクションの有効期間を長く設定できる「durable nonces(デュラブル・ノンス)」という機能があります。攻撃者はこの機能を悪用し、事前に署名させたトランザクションを将来の任意のタイミングで実行できるようにしました。これにより、タイムロック(時間制限)による防御をすり抜けて、即座にフル管理者権限を掌握しました。
管理者権限を奪取した攻撃者は、価格を吊り上げたCVTを正規の担保としてリストアップ。出金に関するセーフガードをすべて解除した上で、31回の迅速な引き出しを実行。ETH、USDC、SOL、ラップドBTCなどの実際のユーザー資産を、12分間で約2.85億ドル分、一気に流出させました。
TRM Labsはこの事件の根本原因を「マルチシグ署名者へのソーシャルエンジニアリングにより秘密の承認に署名させたこと、そしてタイムロックゼロのセキュリティカウンシル移行がプロトコル最後の防御線を無効化したことの組み合わせ」と分析しています。Driftチーム自身も、これはコードのバグではなく、運用上のセキュリティの失敗であると認めています。
2026年6月、Driftは包括的なリブランドを発表しました。当初一部で「Velocity DEX」への改称が囁かれましたが、実際のリブランド先は、**Solanaに特化したパーペチュアル先物取引所(Solana Perp DEX)**です。これは、USDTベースのパーペチュアル・スワップ取引に専念するという戦略的な方向転換です。
製品範囲の絞り込み:従来のパーペチュアル、レンディング、スポット取引などを包括する汎用DeFiプロトコルから、USDTパーペチュアル取引専用の取引所へと特化。Solana上で最大のパーペチュアル取引所となることを目指す。
収益→補償モデル:再始動後のプラットフォームで生み出されるすべての収益は、ユーザー補償のための専用基金に振り向けられる。
新たなセキュリティ体制:Driftは、Helium Protocolの元エンジニアリングリーダーである**Noah Prince(ノア・プリンス)**を新たなプロトコルリーダーに起用。Gauntlet社のメンバーが技術サポートを提供する。
Solanaへの明確なコミットメント:Driftの目標は、Solana上におけるパーペチュアル取引の基盤レイヤーとなること。Solanaがデリバティブ取引の主要なプラットフォームになるとの確信に基づいている。
Drift Protocolのハッキング事件は、2026年における最大のDeFi(分散型金融)流出事件であり、Solana史上2番目の規模です。この事件は、ガバナンスのセキュリティやマルチシグ運用における「人的要素」の脆弱性をこれ以上なく露呈しました。どんなに堅牢なスマートコントラクト監査も、こうした攻撃を防ぐことはできなかったでしょう。
Driftの対応とリブランドは、汎用DeFiハブから、単一目的で高度なセキュリティを備えたパーペチュアルDEXへの方向転換です。これは、従来の多機能プロダクトがもたらすガバナンスと運用のリスクを、Drift自身が痛感した結果と言えます。
Tether主導の復旧基金、新たなセキュリティアーキテクチャ、経験豊富なセキュリティリーダーの登用、そして事業範囲の絞り込み。これらの施策は、失われたユーザーの信頼を回復し、かつてSolanaで支配的なパーペチュアル取引所だった地位を取り戻すための、Driftの決死の戦いです。
Solanaエコシステム全体にとっても、この事件は、堅牢な署名者確認プロセス、行動監視、そしてガバナンスシステムにおける事前署名トランザクションのリスク排除の重要性を、警鐘として刻み込む教訓となりました。