欧州委員会が提案したEU排出量取引制度(EU ETS)の見直しをめぐり、コベストロ、エボニック、ワッカー・ケミー、フォエスタルピーネ、ティッセンクルップの鉄鋼部門など、欧州企業100社超が懸念を表明した。ロイターが11月5日に報じた共同書簡の主眼は、脱炭素化の準備が整う前に炭素コストが上がり、欧州での投資や生産が損なわれるおそれがある、という点だ。
7
12
EU ETSは、対象となる企業などに温室効果ガスの排出枠を設け、排出に価格をつける制度だ。排出枠の無償配分は、EU域内の炭素コストによって生産が規制の緩い地域へ移る「カーボンリーケージ」を防ぐための措置の一つとされる。
企業が問題視するのは「負担増のタイミング」
鉄鋼や化学などのエネルギー集約型産業は、製造工程の見直しや新技術の導入に大規模な投資を必要とする。企業側が警戒するのは、排出削減の設備や手頃なエネルギー、関連インフラが整うより先に、制度変更で負担が増すことだ。高いエネルギー価格と世界的な競争が続くなかで、投資が先送りされ、工場の閉鎖や生産拠点の域外移転につながる可能性があると主張している。
7
12
企業団体が求めているのは、無償排出枠の配分基準をより公平にすることに加え、競争力のある低炭素エネルギーの供給、送電網やCO₂関連インフラの整備、低炭素製品の需要を育てる仕組みだ。排出コストだけを上げても、企業が実際に排出を減らすための選択肢や市場がなければ、移行は進みにくいという考え方である。
12
無償枠は延長案でも「条件付き」に
欧州委員会の7月提案は、産業向けの無償排出枠を業種によって2038年または2040年まで延長する一方、2031年以降の配分に脱炭素投資の条件を設ける内容だ。欧州域内の拠点で排出削減に取り組む計画を提出し、無償枠の価値に相当する投資を行うことが条件となる。
11
ここに、企業側と欧州委員会の考え方の違いがある。企業側は、無償枠を投資への補助金ではなく、海外の競合相手との炭素コスト差を和らげる措置として位置づけ、配分を受けるためにその価値を再投資する義務を課すことに反発している。一方、欧州委員会は、カーボンリーケージ対策を維持しながら、企業の脱炭素投資も促す設計を掲げる。
企業団体が懸念するのは、配分期間が延びても、受け取れる枠の量が確保されるとは限らないことだ。EUのルールでは、希望する無償枠の総量が利用可能な枠を上回る場合、業種横断的な調整係数によって各施設への配分が削られることがある。
17
10月14日付の産業界の書簡は、この調整係数などを通じて2040年までに無償配分が最大70%減る可能性を挙げた。これは書簡が示した見通しであり、将来の削減幅が確定したという意味ではない。
労働組合は雇用を守る条件を要求
労働組合側は、企業への支援そのものよりも、支援に労働者の利益を結びつけるべきだと訴える。欧州労連IndustriAll Europeは11月4日の声明で、公的支援を行うなら労働者への保証が必要だと主張し、今回の見直しでは労働者向けの措置が不十分だと批判した。
11
つまり、議論は「企業に無償枠を与えるかどうか」だけではない。企業側は競争力や設備投資の条件を問題にし、労働組合は公的支援に雇用・社会面の義務を伴わせるよう求めている。質問にある「5年間で1768億ユーロの無償枠」という数字は、今回確認できる資料だけでは独立して検証できないため、確定値としては扱えない。
市場安定リザーブの合意とは別の論点
10月20日、欧州議会とEU理事会の交渉担当者は、排出枠の余剰を調整する「市場安定リザーブ」について暫定合意に達した。リザーブ内で無効化の対象となる基準を、従来の4億枠から7億枠へ引き上げる内容で、無効化の仕組み自体は残す。
欧州委員会の当初案は無効化の仕組みを廃止するものだったため、暫定合意はその案からの変更にあたる。ただし、これは市場に出回る排出枠の需給調整についての合意であり、産業向け無償枠の配分基準や、企業に求める投資条件を直接決めるものではない。両機関による正式な確認を経て採択される必要もある。
企業の警告が突きつけているのは、気候目標と産業競争力をどちらか一方だけで考える難しさだ。排出削減を促す制度を維持しながら、企業が投資できるエネルギー・インフラ・市場を整え、労働者にも移行の利益を行き渡らせられるかが、改革をめぐる争点となっている。