ゴールドマン・サックスが示したのは、欧州のガス価格が必ず100ユーロ/MWhに到達するという予測ではない。ペルシャ湾からの液化天然ガス(LNG)輸出の回復がゆっくりにとどまる場合、欧州が冬前に十分な備蓄を積み増すには、2026年12月渡しのオランダTTF価格が100ユーロ/MWhを超え、アジアから貨物を引き寄せる必要が生じる可能性がある、という条件付きの逼迫シナリオだ。1718
欧州が直面するのは「柔軟なLNG」の争奪戦
欧州は、域内のガス需給を調整するうえで、海上輸送されるLNGに大きく依存している。ペルシャ湾からの供給が途絶えると、欧州が備蓄を増やしたい時期に、利用できる貨物が減少する。
そこで競争相手となるのがアジアの買い手だ。アジアのスポット需要が強く、中東からの輸出も制約されたままなら、欧州はLNG貨物の行き先をアジアから欧州へと変えさせるほど価格を引き上げなければならない。ゴールドマンの論点は、ガスの「適正価格」が65ユーロを上回るという単純な話ではない。現在の価格では、供給業者に貨物の行き先を変更させるインセンティブが足りない可能性がある、ということだ。18
65ユーロ/MWhでも十分ではない理由
欧州のガス指標であるオランダTTFの期近先物は、最近65ユーロ/MWhを上回り、5カ月ぶりの高値を付けた。それでも、来年まで中東の供給障害が続けば、十分なLNGを確保できない可能性があるとゴールドマン・サックスは指摘している。
現在の価格水準が続いた場合、北西欧のガス貯蔵率は8月末に51%にとどまり、同行のベースケースを3.4ポイント下回る見通しだ。18
備蓄は、寒波や需要急増、さらなる供給障害に備える欧州の緩衝材にあたる。補充シーズンの残り期間に注入ペースが上がらなければ、追加のLNG購入を促し、在庫を守るために、冬の価格が大きく上昇する必要が出てくる。
最大の変数はホルムズ海峡
見通しを大きく左右するのは、ホルムズ海峡を通るLNGの流れがどれだけ早く正常化するかだ。回復が早ければ供給量が増え、欧州が支払うべき上乗せ分は小さくなる。反対に回復が遅れれば、アジアのLNG価格が高止まりし、貨物をめぐる競争が激しくなる。
ゴールドマンの厳しいシナリオでは、中東のエネルギー輸出が2027年にかけて徐々にしか正常化しない。この場合、2026年12月のTTF価格は100ユーロ/MWhを超える可能性がある。ホルムズ海峡の流れがより早く戻る好材料のシナリオでは、冬の価格は大幅に低くなると分析されている。17
つまり、100ユーロという水準は、供給を確保するための価格インセンティブに結びついた「ストレスケース」の目安であり、無条件の基本予測ではない。
欧州の備蓄は、失敗できる余地が小さい
EUのガス貯蔵量は2026年8月中旬時点で、容量の約62%と報告された。前年の同じ時期は74%だった。UBSが引用した別のデータでは、貯蔵率は過去5年平均の79%を下回り、純注入量も季節的な平年水準を下回っていた。36
報告日やデータセットによって数字には差がある。Enerdataは8月19日時点で61%、欧州委員会は8月20日時点でおよそ62%としている。34 ただし、方向性は共通している。欧州は、近年の平均的な水準を下回る在庫を抱えたまま、注入シーズンの終盤に入っている。ガス価格の高さが、貯蔵向けの購入を一部で抑えていることも重しとなっている。36
備蓄が薄いからといって、欧州が直ちにガスを使い果たすわけではない。しかし、LNGの回復の遅れ、アジア需要の強まり、想定を超える冬の消費が重なった場合、市場はより敏感に反応しやすくなる。
欧州委員会が「直ちに懸念はない」とする理由
欧州委員会は、ガス貯蔵率が約62%であるにもかかわらず、EUのガス供給について「直ちに懸念はない」と説明している。これは、来る冬に向けた短期的な供給安全保障と、複数の調達先を確保している点に重点を置いた評価だ。23
一方、ゴールドマン・サックスが検討しているのは、限界的なLNGを確保し、冬前に十分な備蓄余力をつくるために、欧州がどれほどの価格を支払う必要があるかというリスクだ。両者は矛盾しない。物理的な供給不足が直ちに起きなくても、供給余力が狭まれば、家庭や企業、電力市場は高く不安定な価格にさらされる可能性がある。
冬のエネルギーコストをめぐる市場の警戒感は、すでに広がっている。欧州の冬物電力契約は、翌年の基準価格を20%超上回る水準で取引された。低いガス在庫や水力発電の貯水状況の悪化などが、コスト上昇リスクを押し上げている。
見通しを改善、または悪化させる要因
最大の救いは、ペルシャ湾からのLNG輸出が早期に回復することだ。アジアのスポット需要が鈍化し、大西洋圏で利用できるLNGが増えれば、欧州が貨物を呼び込むために必要な価格も下がる。
ゴールドマンの分析では、北西欧の貯蔵率を10月末までに67%へ引き上げるのは難しいものの、カタールの輸出が回復し、アジアのスポット需要が抑えられ、より多くのLNGが大西洋圏に残れば達成可能とされる。17
逆に、地域紛争や海上輸送の混乱が長引けば、欧州が利用できるLNG貨物は減り、備蓄を積み増す時間も短くなる。その場合、ガスがすでに底を突いたからではなく、需要を抑え、競合する供給を呼び込む仕組みとして、価格が急上昇する可能性がある。
結論:問われているのは「供給の有無」より余裕
ゴールドマン・サックスが警告しているのは、欧州が必ずガス危機に陥るということではなく、冬を前にした「余裕の小ささ」だ。EUの貯蔵率が8月中旬に約62%、北西欧の在庫も同行のベースケースを下回るなか、65ユーロ/MWhを超える価格でも、欧州がアジアと希少なLNGを競うには不十分となる可能性がある。3618
ホルムズ海峡をめぐる供給障害が早期に収束すれば、100ユーロ/MWhのシナリオは実現しないかもしれない。だが、輸出の回復が遅れれば、欧州の備蓄をより安全な水準へ戻すため、2026年12月のTTF価格が100ユーロを超えてLNGを欧州へ引き寄せる必要が生じる可能性がある。1718