BESIIIチームは、北京電子陽電子衝突型加速器(BEPCII)で収集した、世界最大のサンプルである100億個のJ/ψ(ジェイ/プサイ)中間子の崩壊データを用いて、段階的に証拠を構築した。その証拠連鎖は、以下の5つの独立した線からなる。
複雑な部分波解析により、崩壊過程J/ψ → γ Kₛ⁰ Kₛ⁰ η′ を解析した結果、X(2370)の量子数は、スピンが0、パリティがマイナスの0⁻⁺(擬スカラー)であると決定された。これは、格子QCD(量子色力学)が予言する最も軽い擬スカラー・グルーボールのスピン・パリティと完全に一致する。
X(2370)の質量は約2.36 GeV/c²であり、格子QCDが予言する0⁻⁺グルーボールの質量と正確に一致する。BESIIIによる測定値は2395 ± 11 (統計誤差) +26 −94 (系統誤差) MeV/c²であり、理論予想の範囲内にある。
X(2370)はJ/ψの放射崩壊において高い確率で生成される。これは、グルーボール生成の特徴的な兆候であり、J/ψ崩壊の環境にはグルーオンが豊富に存在するためである。格子QCD計算によれば、この質量範囲のグルーボールは、このような崩壊で顕著に現れるはずだとされていた。
X(2370)の崩壊モードは、同じく擬スカラー粒子であるηc中間子のそれとよく似ている。しかし、X(2370)の崩壊幅はηcよりも広く、グルーボールとしての解釈と矛盾しない。
最新の解析(arXiv:2607.20366)において、研究チームはX(2370)の崩壊過程X(2370) → K*(892)⁰ K̅⁰ + c.c. を探索した。その結果、この崩壊が強く抑制されていることが判明し、生成分岐比の積に対する上限値を90%の信頼水準で < 2.7 × 10⁻⁶ と設定した。もしK*K̅崩壊が起こっていれば、X(2370)がストレンジクォークを含むことを意味する。その抑制は、X(2370)がフレーバー・シングレット(味一重項)として振る舞うことを示しており、これはクォークではなくグルーオンのみからなるグルーボールにまさに期待される性質である。
中国科学院高エネルギー物理研究所(IHEP)のプレスリリースは、「フレーバー・シングレット」という性質がグルーボールの最も重要な特徴であると強調している。陽子や中性子などの通常の粒子は、アップクォーク、ダウンクォーク、ストレンジクォークなど異なる「味」のクォークを含むが、純粋なグルーオンで構成されるグルーボールは、いかなる味の情報も持たない。
これら5つの独立した証拠——量子数、質量、生成率、崩壊モード、フレーバー・シングレット性——は、通常のクォークと反クォークからなる中間子では説明できない、完全な証拠連鎖を形成している。
グルーボールの確認は、強い力の理論であるQCDの直接的な検証となる。
グルーオンが物質となることの証明: QCDは、強い相互作用の力を伝える粒子であるグルーオンが、自身の持つ「色電荷」を介して互いに結合し、グルーボールと呼ばれる粒子を形成することを予言する。これは基本的な予言でありながら、約50年にわたって実験的に確認されていなかった。
格子QCDの検証: 格子QCDシミュレーションは、長年にわたって最も軽いグルーボールの質量と量子数を予測してきた。X(2370)の結果は、これらの予測を高い精度で初めて実験的に検証し、格子法が純粋なグルーオン相互作用のダイナミクスを正しく捉えていることを確認した。
クォーク模型を超えて: グルーボールは、クォークではなく純粋な力から作られた新しい物質形態を代表する。その存在は、強い力がそれ自身の束縛状態を作り出せることを確認し、これは基本4つの力の中でQCDにのみ見られる現象である。
X(2370)の結果は歴史的マイルストーンであるが、未解決の疑問も残されている。
クォーコニウムとの混合: X(2370)は純粋なグルーボールではなく、周囲のηやη′などの擬スカラー中間子と混合している可能性がある。BESIIIチームはX(2370)が「擬スカラー・グルーボール成分によって支配されている」と述べており、クォーク成分が全くないわけではない可能性を残している。
他のグルーボール状態: 格子QCDは、異なる量子数を持つ一連のグルーボール(スカラー0⁺⁺、テンソル2⁺⁺など)の存在を予測している。特にスカラー・グルーボールは長年の探索目標であるが、未だ同定されていない。X(2370)は、特定の理論予測と一致する量子数が確認された最初のグルーボール候補である。
より高精度な統計: X(2370)の統計的有意性は11.7σ以上と非常に高いが、新たな崩壊モードの発見や、崩壊幅や分岐比の精密測定は現在も継続中である。
BESIII検出器は現在もデータ収集を続けており、BEPCIIでの将来の運転や他の実験施設での研究により、X(2370)のさらに詳細な研究(例えば、グルーボールであれば抑制されると予言されるωやφへの放射崩壊の探索など)が計画されている。