騒動の発端は、かつてケンブリッジ大学に在籍した研究者ネイサン・コフナス氏が自身のSubstackで行った告発に端を発する。コフナス氏は彼のことを「人種的現実主義者」と自称しており、その背景には論争があるものの、彼が提示した具体的な疑惑は以下の通りだ。
博士論文および学術論文における剽窃 コフナス氏は、アーディ氏の博士論文と論文から188の文章が、出典を明記せずに他者の著作からほとんど編集されずにコピーされていることを発見したと主張した。特に、2009年に別の学生が提出した博士論文からの無断流用が指摘されている。剽窃検出ソフトウェアによる分析では、「多くの引用箇所が最小限の編集でコピーされており、元の出典の校正ミスまでそのまま残っている」と報告されている。アーディ氏が博士号を取得したリバプール・ジョン・ムーアズ大学はすでに予備的な審査を行い、「剽窃は認められない」との結論を下していたが、今回の騒動で疑惑が再燃した。
慈善活動と超人的な記録の詐称 アーディ氏は自らの経歴の中で、35日間で30回のマラソンを走破、3日間で300マイル(約480キロ)、トレッドミル上で6日間で600マイル(約965キロ)を走破するといった超人離れした記録を達成し、これにより20年以上にわたって550万ポンド(約10億円)以上を慈善団体に寄付したと主張していた。しかし、この高額な寄付金の実在を裏付ける独立した記録は、彼のキャリア初期の2010年に開設されたJustGivingのページ以外には見つからず、そのページの募金額は主張と大きく異なっていた。アーディ氏はガーディアン紙に対し、この資金は他の多くの人々と協力して調達したものだが、関係者の名前は守秘義務契約(NDA)により明かせないと説明した。タイムズ紙には、「人に信じてもらえないのは仕方ない。誰だって自分の言ったことややったことすべてに領収書を持って生きているわけではない」と語っている。
大学側が記録を確認できない名誉職 アーディ氏が複数の大学で「名誉教授」や「客員教授」などのポストに就いていたと主張したにもかかわらず、当該の大学側が「そのような任命記録はない」と否定していると報じられている。
出版されていない書籍の虚偽申告 デイリー・テレグラフ紙は、アーディ氏が出版していない書籍を出版したと虚偽の申告をしていたと報じた。
豚の頭の脅迫事件 アーディ氏はメディアのインタビューで、実家の両親に対して嫌がらせの一環として「切断された豚の頭」が送りつけられたと語っていた。しかし、ロンドン警視庁に情報公開請求を行ったところ、同庁は「そのような事件の捜査記録は存在しない」と確認した。
アーデイ氏は、グッド・ロー・プロジェクトのウェブサイトに掲載した声明の中で次のように述べている。
「深い悲しみとともに、ケンブリッジ大学とジーザス・カレッジの職を即時効力で辞任することをここに表明します。ケンブリッジ大学の社会学教授という特別な名誉を受けた時、それは間違いなく私の人生における最大の職業上の誇りでした。しかし、任命以降の年月は、容赦ない世間の監視と個人攻撃に特徴づけられています…個人としての代償があまりにも大きくなりました。私自身の幸福と家族、そしてこの困難な時期を支えてくれた人々のために、この章を終わらせる唯一の方法は身を引くことだと結論づけました。これは私の仕事の終わりを意味するものではありません。時が来れば、私は戻ってきます。」
彼は、この辞任を「自分を取り巻く語り」を受け入れたものと解釈すべきではないと強調した。
この事件で最も異例な側面は、この疑惑を追っていたジャーナリスト、ジャック・グローブ氏(タイムズ・ハイアー・エデュケーション)に対するロンドン警視庁の対応だ。グローブ氏はアーディ氏の論文に剽窃が疑われる箇所を63ページにわたる資料にまとめ、2025年9月に一連の質問をアーディ氏に電子メールで送った。
これに対し、アーディ氏の代理人である著名な名誉毀損専門の法律事務所カーター=ラックが警察に告訴し、グローブ氏を「嫌がらせ」で告発した。ロンドン警視庁は4ヶ月間にわたってグローブ氏を捜査し、アーディ氏への連絡を一切禁じた。警察が最終的に事件を不起訴とした際、グローブ氏が最後にアーディ氏に連絡を取ったのは返信権を通知した2025年9月のメールのみであり、事件終了時点で4ヶ月間も連絡を取っていなかったことが判明した。アーディ氏側の弁護士は、グローブ氏による調査を「人種的に動機づけられた嫌がらせ」と非難していた。
さらに、タイムズ・ハイアー・エデュケーションの編集長クリス・ハバーガル氏は、カーター=ラックから脅迫的な手紙を受け取った後、グローブ氏の調査記事を掲載しない決定を下した。同編集長は後に「我々の調査はジャーナリズム的にも編集部的にも正当だった」と述べたが、編集判断の詳細についてはコメントを避けた。この一連の出来事は、アーディ氏側が警察への告訴と名誉毀損訴訟の武器を行使してジャーナリズムによる監視を封じ込めようとしたのではないかという深刻な報道の自由への懸念を引き起こしている。
アーディ氏の回顧録『Great and Unfortunate Things』(サイモン&シュスター社)は2026年8月下旬に発売予定だったが、今回の辞任により刊行が延期または中止される可能性が高い。アーディ氏は「癒しの時間が必要」とし、いずれ学術界に復帰する意向を示しているが、その時期は明らかにしていない。
ケンブリッジ大学が開始した調査がアーディ氏の辞任後も継続されるのか、それとも終了されるのかは不明だ。一方、ジャック・グローブ氏に対するロンドン警視視庁の捜査と、タイムズ・ハイアー・エデュケーションが記事を掲載しなかった経緯をめぐる報道の自由をめぐる議論は、依然としてくすぶり続けている。