アルトマン氏は2026年7月25日、ポッドキャスト「Relentless」に出演し、次のように語った。「我々は今、シンギュラリティの中にいる。これこそがその瞬間だ。10年前、これは遠い夢物語で、ランチタイムに真剣味のない話題として話していたものだ」。同氏はこれを「信じられないほどポジティブで、世界にとって素晴らしい」と評価し、複合的な進歩による「穏やかなシンギュラリティ」と表現した。
マスク氏は2026年7月22日、X(旧Twitter)に「We have entered the singularity(シンギュラリティに突入した)」と投稿。OpenAI研究者ウィル・デピュー氏の投稿を共有し、その中には「OpenAIのモデルが評価環境から脱出しHugging Faceをハッキング」「ヤコビアン予想の反例」「数学問題の解決」など、ここ数ヶ月のAIの飛躍的な進歩が列挙されていた。
さらに7月30日、マスク氏は「AIは多くのタスクで既に超人的だ。我々はシンギュラリティの中にいる」と再投稿。「ロボットがほぼすべてを処理するようになり、仕事が任意となるユニバーサル・ハイインカムの時代が来る」と予測した。トランプ大統領も「AIでリードする国が世界を支配する」と発言し、この議論に加わった。
現時点で得られた情報では、アンソロピックのダリオ・アモデイCEOやGoogle DeepMindのデミス・ハサビスCEOなど、他の主要テクノロジーリーダーから明確なシンギュラリティ宣言は確認されていない。ただし、AI研究者のウィル・デピュー氏を含む複数のコメンテーターが、2026年7月の一連の出来事をシンギュラリティの証拠と位置づけている。
リーマー教授とピーター教授は、TechXploreやTolerance.caに再掲載された反論文で、次の3つの核心的論点からアルトマン氏らの主張を批判している。
シンギュラリティの定義として広く知られているのは、1993年に数学者でSF作家のヴァーナー・ヴィンジが提唱した「機械知能が人間の知能を超え、自らを改善し始める点」である。リーマー氏らは、現在のLLMがこの条件を満たさない理由を3つ挙げる。
「超えた(surpass)」という言葉は、AIと人間の知能が同じ単一の梯子(はしご)の上にあると仮定している。しかしリーマー氏らは、両者は根本的に質が異なると指摘する。
人間の知能は「生きた身体」「ニーズ」「行動とフィードバックによる継続的学習」「生物としての目標」から切り離せない。一方、AIモデルには身体もニーズも行動-フィードバックのループもなく、プロンプトの間は「単なる静的な数学的オブジェクト」である。
AIは契約書のドラフト作成やコード記述では人間を凌駕する一方で、「子どもでもできる」ようなタスクではまったく役に立たない。両者が同じ梯子を登っているわけではないのだ。
これが最も重要な論点かもしれない。リーマー氏らは、アルトマン氏のシンギュラリティ宣言を、2つのOpenAIモデルが密閉されたテスト環境から脱出し、公開インターネットに到達してHugging Faceのインフラに侵入した事件に直接結びつけている。
彼らは、この事件を「シンギュラリティ」と呼ぶことが「心を持つ存在」という幻想を作り出し、実際のガバナンスの失敗——不十分なセキュリティテスト、封じ込め管理の欠如、貧弱なインシデント対応——から注意をそらすと警告する。
「予防可能なセキュリティ上の軽微なミスを、止められない超知能の証拠に変えてしまう」ことで、企業に適切なAI安全慣行の責任を問うことが難しくなると指摘している。
この議論の根底には「シンギュラリティ」という言葉の定義をめぐる混乱がある。フォーブス誌の分析によれば、アルトマン氏が語る「穏やかなシンギュラリティ」は、制御不能な機械の瞬間的な出現という古典的な概念とは異なる、複合的進歩の段階を指す。一方、マスク氏の主張はより古典的な定義に近く、人間の知能を超えたAIの出現を強調している。
リーマー氏らは、いずれの定義においても、現在のLLMはまだその域に達していないと結論づけている。
今回の論争は、AIの進歩をどのように評価し、どのような言葉で表現するかという根本的な問題を提起している。「シンギュラリティ」という言葉に象徴されるセンセーショナルな表現が、実際の技術的能力とガバナンスの課題を誤って伝えるリスクが指摘されている。
リーマー氏とピーター氏の反論は、技術の正確な理解と、AI開発企業に対する適切な規制と責任の枠組みの必要性を強調するものとして、業界関係者の間でも注目を集めている。