7月2日までに確認された死者は2295人、負傷者は11,267人、直接被災者は少なくとも12,841人に達しました 。行方不明者は依然として数万人に上り、アルジャジーラは6月28日時点で5万1000人以上が行方不明になっていると報じています 。国連緊急救援調整官は、別の推定による5万人の行方不明者数を「恐ろしいほど現実的だ」と述べています 。Wikipediaの集計では、最終的に死者数は約3000人に達する可能性が示唆されています 。
死者数は、救助隊が倒壊した建物に到達するにつれて急速に増加しました。地震発生直後の6月24日夜の時点では32人と報告されていましたが 、48時間以内に164~235人 、6月29日までに1450~1719人 に達し、最終的に7月2日に2295人となりました 。負傷者は1万1000人以上、少なくとも1万2000人が自宅を追われています 。
USGSのPAGERシステムは、経済的損失がベネズエラのGDPの25%を超える可能性があると推定しました 。Wikipediaは後に、直接的な被害額を370億米ドルと見積もっています 。カラカスとラ・グアイラでは数百棟の建物が倒壊しました 。衛星画像は沿岸都市での大規模な破壊の実態を明らかにしています 。国連は、少なくとも1423のインフラ施設が被害を受け、港湾都市カティア・ラ・マールでは建物の3分の1が損傷したと報告しています 。ユニセフ(UNICEF)は、68万人の子どもを含む180万人が人道的支援を必要としていると推定しています 。
壊滅的な被害の規模にもかかわらず、いくつかの驚くべき救助事例も報告されています。カラカス近郊では、がれきの下に106時間閉じ込められた男性が救出されました 。また、地震発生から約1週間後には警備員が救出されました 。救助活動のピーク時には、数百人が倒壊した建物の下敷きになっていると報告されていました 。7月2日までに、当局は国内外の4000人以上の作業員によって6461人が救出されたと発表しています 。
国際社会の対応は迅速かつ大規模なものでした。アメリカは1億5000万ドルの緊急支援を表明。そのうち1億ドルは国連の人道基金に、残りの5000万ドルはベネズエアで活動する援助機関に拠出されました 。国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、国連システム全体の協力を約束し、緊急支援を拡大しました 。ユニセフは10万人分の3ヶ月分の物資を空輸。UNHCRは避難所を提供し、OCHAは数十の国際救助チームの調整にあたりました 。
27カ国から救助隊が派遣され、2200人以上の救助隊員と140頭の捜索犬が投入されました 。援助を送った国々には、ドミニカ共和国、スペイン、メキシコ、チリ、ブラジル、アメリカ、スイス、フランス、ドイツ、インドなどが含まれています 。国連はラ・グアイラ州に3つの野戦病院を設置しました 。
6月24日夜、デルシー・ロドリゲス暫定大統領はテレビ演説で非常事態を宣言し、ラ・グアイラ州を「災害地帯」に指定しました 。しかし、最初の記者会見では死者数の具体的な数字は示さず、当局がなお状況を評価中であると述べるにとどまりました 。政府は非必須サービスの停止を発表し、市民保護チームを動員しました 。
その後数日で、政府は対応の遅さと不公平性について野党から激しい批判に直面しました。国際 Crisis Group の上級アナリスト、フィル・ガンソン氏は、政府の取り組みを「まったく存在しないものから、せいぜい完全に不十分なものまで」と厳しく評しています 。ロドリゲス氏の政敵であり、亡命中のノーベル平和賞受賞者マリア・コリーナ・マチャド氏も自身の声明を発表しました 。
7月2日、ロドリゲス氏は記者会見で政府の対応を激しく弁護し、今回の地震を「想像もできなかった規模の自然の悲劇」と表現しました 。しかし、彼女の暫定大統領としての任期が7月4日に満了する中で、この災害は彼女にとって深刻な政治的試練ともなっています 。アムネスティ・インターナショナルは、ベネズエラ当局に対し、すべての救援活動が人権基準に従って行われるよう確保するよう求めています 。