目標とするチップの年間生産能力は、なんと1テラワット。これは現在の米国全体のチップ消費量の実に2倍にも相当する数字だ。そして、この野心的な計画に必要な資金は、当初の約8.5兆円(550億ドル)から、なんと**約18.4兆円〜18.9兆円(1,190億〜1,220億ドル)**にまで膨れ上がっていたのである
。
では、この天文学的な計画が、なぜASMLの株価をここまで押し上げたのか? その答えは明白だ。テラファブが製造を目指すのは、2ナノメートル(nm)世代以降の超先端チップである。このレベルの微細加工を実現できるのは、世界でただ一社、ASMLが製造する「High-NA(高開口数)EUV(極端紫外線)露光装置」だけなのだ。この装置1台の価格は、なんと約57億〜61億円(3億7,000万〜4億ドル)
。テラファブが計画通りに動き出すためには、この「魔法の箱」を大量に確保しなければならず、それは間違いなくASML史上最大級の単一受注となる可能性を秘めている
。
テラファブという未来のビジョンが投資家の心をくすぐる一方で、ASMLの足元の業績もまた、株価上昇を力強く後押しした。テラファブの話題が沸騰していた6月初旬、同社は2026年の売上高見通しを360億〜400億ユーロ(約5.7兆〜6.3兆円)へと引き上げた。これは、AI向けの旺盛な需要によって、同社のEUV露光装置が世界中の顧客から引っ張りだこになっている現状を反映したものだ。この上方修正は、ASMLが単なる「未来の夢」で買われているのではなく、足元で力強い需要を享受していることを鮮明にした。
実際、2026年1月末に発表された四半期決算では、受注高が131億ユーロ(約2.1兆円)と過去最高を記録し、市場予想を大幅に上回っている。今回の急騰前でさえ、ASMLの株価は年初来で64%上昇しており
、もともと非常に強い上昇基調にあったのだ。
ASMLが歴史的な高値を更新したまさにその日、米国では波乱の決算発表があった。クラウド大手のオラクルが、会計年度の第4四半期決算を発表したのだ。一見すると好決算であり、調整後の一株利益(EPS)は2.11ドルで市場予想(1.95ドル)を上回り、売上高も192億ドルと予想(191億ドル)をクリアした。しかし、オラクルの株価は発表後に約8%も急落した
。
なぜか? それは、同社がAI向けデータセンターをさらに拡大するため、追加で200億ドル(約3.1兆円)の資金調達(株式と負債による)を計画していると発表したからだ。すでに年間の設備投資は557億ドル(約8.6兆円)に達している一方、営業キャッシュフローは320億ドル(約4.9兆円)にとどまり、借金は1,300億ドル(約20兆円)に膨れ上がっていた
。この無理に見える積極投資に、オラクルの株主は顔をしかめたのである。
しかし、このニュースは半導体製造装置セクターにとって、これ以上ないほどの「強気のシグナル」となった。市場参加者は、オラクルによる底なしの投資意欲を、「AI向け半導体の設備投資サイクルはまだピークを迎えていない。むしろ、これからが本番だ」という何よりの証拠と受け止めたのだ。オラクルの「不幸」が、ASMLをはじめとする半導体装置メーカーへの追い風に変わった瞬間だった。
ASMLの急騰は、セクター全体を覆う強力なリスクオン(積極的な投資意欲)のうねりの一部でもあった。前週に急落していたフィラデルフィア半導体指数(SOX指数)は6月8日に6.5%の急反発を見せており、世界最大の半導体受託生産会社であるTSMCが掲げる2026年の設備投資計画(520億〜560億ドル、約8兆〜8.6兆円)も、強気相場の大きな背景となっていた
。
6月11日、市場はAIのハードウェアに関連するありとあらゆる銘柄を買い漁った。半導体製造装置、メモリ、ストレージ、ネットワーク機器はもちろん、電力関連や電気インフラの銘柄までもが大幅高となった。オラクルは確かに売られたが、その巨額投資がセクター全体を潤す構図が、はっきりと意識されたのである。
もう一つ、今回の急騰を見事に演出した見えにくい要因がある。それは、過去最高値を更新し続けるASMLの株価が、奇妙なことに「相対的に見て割安」と判断されたことだ。
年初来で64%も上昇していたにもかかわらず、ASMLの上昇率は米国の半導体セクター全体のそれを下回っており、一部のアナリストからは「過去10年で最も割安な水準」と評されていた
。EUV技術における事実上の独占企業という地位を考えれば、この「出遅れ感」こそが、バリュー志向の投資家の目には絶好の買い場と映ったのである。
しかし、この楽観一色のセッションで、すべてのリスクが消え去ったわけではない。
6月11日の急騰は、「未来のビジョン」「足元の業績」「業界全体の潮流」という三つの要素が完璧に重なった結果だった。テラファブが壮大な夢を提供し、ASMLの上方修正がその夢を地に足のついた現実へと引き寄せ、そしてオラクルの巨額投資が「トレンドは本物だ」と証明して見せたのだ。この奇跡的な共鳴が、株価をさらに押し上げるかどうかは、今や「青写真」から「正式な購入契約」へと、どれだけの注文が具体化するかにかかっている。
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