声明発表のわずか数カ月前、イタリアのウルソ産業相は「ETSは欧州企業を殺す倒錯した仕組みだ」と主張し、制度の一時停止まで要求していた 。また、ドイツのメルツ首相やフランスのマクロン大統領からも炭素価格の高騰を牽制する発言が相次ぎ、2026年1月に1トンあたり90ユーロだった排出枠(EUA)の価格は、同年3月には一時67ユーロまで急落した
。
投資家連合は、今回の声明で次の3つの核心的な反論を展開している。
複数のエビデンスが示すように、欧州産業を苦しめている主因は、化石燃料への依存に起因する構造的な高エネルギー価格だ。特に工業用電力価格は、米国や中国の2~3倍に達している 。問題の根源は、ロシア産ガス依存から脱却しきれていないエネルギー構成と、再生可能エネルギーを送る送電網の整備不足にある。ETSに責任を転嫁するのは、根本的な治療を遅らせる「危険な誤診」である
。
鉄鋼、セメント、化学、アルミニウムといった基幹産業の脱炭素化には、今後数十年を見据えた巨額の設備投資が不可欠だ。その投資判断を支えるのが、頑健で予測可能な炭素価格シグナルである。一度でも市場の信頼が損なわれれば、資本はより安定したルールを持つ地域へと逃げ出す。実際、2022年のエネルギー危機時に各国が場当たり的な市場介入を行い、クリーンエネルギーへの投資が大きく冷え込んだ「悪しき前例」を繰り返してはならないと警告している 。
EU-ETSは、排出枠のオークション(競売)を通じて毎年数十億ユーロもの収入を生み出している。この資金は、加盟国を通じて産業のクリーン化投資に再配分される仕組みだ。市場を薄めれば、この貴重な公的資金のパイが縮小する。これは、まさにクリーン技術への投資拡大が最も求められているタイミングでの「資金源の自滅」にほかならない 。
2026年3月、タタ・スチール、ボルボ・カーズ、EDF、オーステッド、ハイデルベルク・マテリアルズ、バッテンフォールなど、100社を超える企業と投資家が「ETSを弱体化させるのは問題の誤診だ」と訴える公開書簡を欧州首脳に送付した 。スペインやオランダなど8カ国も、「ETSの解体や機能停止は、先んじて巨額投資を行ってきた企業を罰し、欧州の気候変動対策の信認を根本から損なう」とけん制する共同文書を発表している
。
今回の45機関投資家による声明は、単なる環境団体の提言ではない。11.4兆ユーロという数字は、世界の年金基金や保険会社、資産運用会社のマネーが、欧州の政策決定を固唾をのんで見守っていることを意味する 。
彼らのメッセージは、要約すればこうだ。**「炭素市場を後退させるという政治的カードを切るなら、欧州のクリーン産業に流れる予定だった民間資金は、永久に潮が引くように欧州から去っていくだろう」**と。
2026年7月のETS立法見直しは、欧州が「真のエネルギー自立」と「クリーン産業大国」への道を進むのか、それとも短期的な政治的人気取りのために世界の投資マネーから見放されるのか、その分岐点となる。
(本記事は、PRI、IIGCC、NZAOA、欧州議会ブリーフィング、ユーロニュース、ブリューゲル、DWSリサーチ、各種公開書簡などの分析に基づいています。)
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