言い換えるなら、麻酔下の脳は「何か発話のような音がある」ことには反応しても、それを筋の通ったメッセージとして意識に上らせているとは限らない、ということです。
プロポフォールによる鎮静を用いた研究では、脳の反応は段階的に変化することが示されています。複雑な処理が弱まる鎮静レベルでも、聴覚刺激の知覚的処理は残ることがあります 。さらに、語に選択的な活動や、意味処理に関係する可能性のある神経活動が限定的に残る例も報告されており、単純に「意味処理がすべて消える」とは言い切れません
。
脳外科手術や頭蓋内記録を使った研究からも、別の角度の証拠があります。研究者は、皮質脳波(ECoG)を使って、覚醒時と麻酔時の発話刺激に対する大脳皮質の反応を記録し、70〜170Hzの広帯域ガンマ活動を手がかりに、言葉を受け取る側の言語野を同定しています 。また、脳手術中の言語モニタリング研究では、音韻的な音に対するミスマッチ陰性電位、つまり予測と違う音に対する自動的な脳反応が、全身麻酔下で測定できるかが検討されました
。
麻酔の影響を最も受けやすいのは、発話を統合し、意味として理解し、それを意識的に把握する過程です。プロポフォールで意識レベルを下げた研究では、文への神経反応が、実際の理解や意識とどう関係するかが調べられました。対象者は、鎮静なし、軽い鎮静、深い鎮静の状態で調べられ、PNASに掲載されたその研究では、深い鎮静は「会話への反応はないが、大きな声の指示では覚醒しうる状態」と定義されています 。
この研究が示す中心的なポイントは、発話が脳活動を引き起こすことと、本人が発話を理解して意識していることは分けられる、という点です。全身麻酔や深い鎮静は、「脳が音声に反応した」状態を残しながら、「その人が意味を理解した」状態を弱めたり失わせたりしうるのです 。
麻酔中の言語処理は、スイッチのように一気に切れるものではなく、連続的に変化するものとして考える方が自然です。軽い鎮静では、音声の知覚や意味に関わる処理の一部が残りやすい可能性があります。一方、鎮静が深くなるほど、会話への応答や意識的な理解は起こりにくくなります 。
ただし、証拠は一つの状況だけから来ているわけではありません。プロポフォール鎮静下の実験、全身麻酔中の脳内結合に関するレビュー、手術中の機能マッピング研究など、研究の条件はさまざまです 。そのため、どの麻酔薬でも、どの用量でも、どの患者でも、まったく同じように働く「万能のスイッチ」として理解するのは適切ではありません。
ECoGの反応、ミスマッチ陰性電位、聴覚野の活動は、言語処理の一部が麻酔下でも測定可能であることを示す重要な手がかりです 。しかし、それだけで、本人が意識的に理解していた、あるいは後で報告できる経験をしていた、とまでは言えません。
全身麻酔中の人間の脳は、発話のような音を検出し、言語を受け取る脳領域に活動を示すことがあります。しかし、麻酔がより確実に弱めるのは、音声を意味へ変換し、文として理解し、意識的な経験として保持する高次の処理です 。
したがって、全身麻酔中の言語処理を考えるうえで大切なのは、「反応があるか」だけでなく、「それが理解や意識を意味するのか」を慎重に分けて見ることです。
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