問題になるのは、学生が自分で試す前に、学習の中心となる作業までAIに委ねてしまう場合だ。たとえば、論旨を組み立てる、資料を解釈する、初めて見る問題を解く、説明文を書くといった作業を、最初からAIに任せてしまうケースである。
提出物は、見た目には改善するかもしれない。完成までの時間は短くなり、文章は流暢になり、表面的なミスも減る。しかし学生の中に、次のような力が育っていない可能性がある。
教育者が「生産的な苦 struggle(productive struggle)」と呼ぶのは、思い出し、試し、間違え、フィードバックを受け、修正する一連の努力だ。この負荷をすべて取り除けば課題は楽になるが、同時に、推論が身につくための練習まで失われるおそれがある。
現在の研究はAI教育への懸念を裏づけている。ただし、「AIは常に批判的思考を弱める」と単純化できる状況ではない。
高等教育における生成AIを調べたスコーピングレビューは、文章作成、フィードバック、問題解決、研究活動への利点を認める一方、認知的オフローディング、AIへの依存、学習者の主体性をめぐる懸念も指摘している。
また、89本の研究を対象にした系統的レビューでは、生成AIの影響は一様ではなく、条件によって変わるとされた。肯定的な結果は全研究の40.4%、混合的または条件付きの結果は23.6%で報告されている。同レビューで主なリスクとして挙げられたのは、過度な依存、分析の自律性の低下、認知的オフローディングだった。
教室での学習成果をまとめた別の研究でも、一般用途の生成AIが、技能を身につけるために必要な苦労を迂回すると、分析、推論、創造性といった高次思考が損なわれる可能性が警告されている。そのため、基礎知識を先に身につけること、AIリテラシーを教えること、ツールの導入を段階的に進めることが推奨されている。
AIは、学習の足場、フィードバックの相手、あるいは学生の推論を試す相手として使われると、学びを支えやすい。一方、基礎的な読解や分析を置き換えると、学びを弱めやすい。
特に重要なのは、課題の成果と、長期的に残る学習との間にずれが生じる可能性だ。学生は課題をうまく完成させても、その課題が本来育てるはずだった知識や判断力を獲得していないかもしれない。
ChatGPTが一般公開された2022年以降、世界の教育機関では不正、剽窃、AI検知が初期対応の中心になった。シンガポールの大学では現在、より細かな運用へ移行している。
シンガポール国立大学(NUS)の指針も、AIを使った場合はその利用を明示し、担当教員に確認し、成果物の品質と誠実性について自ら責任を持つよう学生に求めている。NUSの方針では、AIが生成した文章をそのまま自分の成果として出すことだけでなく、AIの出力を開示せずに言い換えて提出することも、不適切な剽窃にあたる。
一方、AI検知ツールだけで不正を証明することの限界も明らかになっている。南洋理工大学(NTU)は、制度的に導入していたAI検知器を2027年から廃止すると表明した。信頼性が低く、学術的不正を証明する経験的妥当性に欠けることが理由だ。今後は、学生の作業過程や、標準化されたAI利用の開示を重視する方針である。
これは評価の考え方を変える可能性がある。完成した文章だけから「誰が書いたか」を推測するのではなく、学生がどのように結論へ到達したのかを確認するのだ。具体的には、次のような方法が考えられる。
目標は、評価を「AIに勝てる課題」にすることではない。評価対象となる学びを、見える形にすることである。
学生にとっての実践的なルールは明快だ。AIは自分の思考の後に、思考とともに、あるいは思考を試すために使う。思考の代わりにはしない。
各課題について、AIの利用範囲を明確にすることも重要だ。たとえば次の3段階に分けられる。
効果的な流れは、「AIなしで最初の回答を作る」「AIから指針付きのフィードバックを受ける」「自分で修正する」「AIのどこが正しく、どこが不完全または誤りだったか振り返る」という順序だろう。
教師は、プロンプト作成と理解を混同しないことも大切だ。高度なプロンプトを書けることは、その科目を理解している証拠ではない。もっともらしいAIの回答を、根拠を示して退けられることのほうが、学習の証拠として強い場合もある。
低年齢の学習者について、MOEはAI利用が学習と発達に役立ち、目的に沿い、年齢や発達段階に適合し、安全で責任あるものでなければならないとしている。近年の報道では、MOEが開発したツールを小学4年生から教師の監督下で段階的に導入し、教師向けのAI研修も拡大している。
子どもに必要なのは、個人的な無制限アクセスではなく、教室での指導と大人の支援である。
シンガポールの集中型デジタル基盤は、端末や承認済みの学習ツールへのアクセス格差を抑える可能性がある。MOEは、無線ネットワーク、端末、ソフトウェアなどのデジタル基盤を学校に提供し、全国の学生がSLSを使えるよう支援している。
しかし、同じツールを使えることが、同じように批判的に使えることを意味するわけではない。家庭に時間的な余裕があり、教育への理解や自信がある学生は、AIの回答を疑う方法、出典を確認する方法、表面的な説明を見抜く方法を家庭で学びやすい。明示的な指導がなければ、こうした差は新たな教育格差になり得る。
学校は、これまで家庭や社会的環境に埋め込まれていた「上手な学び方」を、誰もが学べる形にする必要がある。
現在の政策シグナルは、AI教育からの後退ではなく、より深い組み込みを示している。今後、シンガポールでは学習段階に応じたAIリテラシーの導入、承認済みAIツールの拡充、SLSを通じた個別練習や形成的フィードバックが進む可能性が高い。
大学でも、検知器による取り締まりより、利用の開示、説明責任、科目ごとのルールを重視する流れが続くとみられる。評価では、とりわけ独立した推論が学習目標となる科目で、作業過程、応用、対話、判断の比重が高まるだろう。
中心となる問いは、AIが学生の思考力を広げているのか、それとも思考に必要な練習を静かに置き換えているのかだ。シンガポールにとって最も持続可能なモデルは、「どこでもAI」でも「AIを使わせない」でもない。AIを構造化して使いながら、AIなしで取り組む時間を守ることである。
卒業する学生は、AIと効率的に協働できるだけでなく、AIが間違っているときに気づき、使わないほうがよい場面を判断し、AIが使えない状況でも筋の通った推論を示せなければならない。それが、AIとともに学ぶことと、学ぶこと自体をAIに外注することの違いである。