この方向性が重要なのは、現実世界で機能する知能には、テキストだけでは足りない能力が必要だからだ。ロボットには、周囲を認識し、次の状態を予測し、行動を計画・制御し、変化する物理環境に対応する力が求められる。世界モデルや身体性AIは、環境を説明するだけでなく、その中で予測し、行動することを目指す試みだ。
BAAIの役割は、研究テーマの提供にとどまらない。研究所はオープンソースモデル、エージェント、基盤ソフトウェアとハードウェアのエコシステム、研究者育成、産学連携を重視している。 BAAIの2026年カンファレンスでは、200以上のモデルをオープンソースとして公開し、世界でのダウンロード数が10億回を超えたと報告された。ただし、これらの数字はカンファレンス主催者による発表であり、モデルの品質を直接測る指標ではなく、普及度を示す目安として読むべきだ。
中国のAIエコシステムにとって、BAAIの価値は再利用可能な研究インフラと人材育成の経路をつくることにある。オープンモデル、ベンチマーク、開発ツール、ロボット向けプラットフォームが共有されれば、大学、スタートアップ、メーカーはゼロから始めずに次の研究や製品開発へ進める。
「Four Beams and N Pillars(四梁N柱)」と呼ばれる枠組みでは、モデルアルゴリズムとソフトウェア、科学データベースと知識システム、高効率な実験・計測、統合型の計算基盤を組み合わせる。狙いは、個別の研究者や研究室に閉じた、いわば“職人型”の研究プロセスから、複数の機能を接続したプラットフォーム型の研究へ移行することだ。
Bohriumは、この考え方を具体化する研究クラウドの一例である。同プラットフォームは、科学文献、知識、モデル、計算、データ分析、実験ワークフローを接続する環境として位置づけられている。 目的は、AIに答えを出させることだけではない。研究者が問いを立て、シミュレーションや実験を行い、検証済みの新しいデータを蓄積するまでの流れを支援することにある。
この「閉ループ」は、材料科学や分子科学で特に意味を持つ。DPA4のような大規模原子モデルは、材料の探索やシミュレーションを支援できる。さらに実用的な価値を持つためには、モデルの予測を実験で確かめ、その結果を次のモデル改良に反映させる必要がある。2026年の報道では、DPA4の改良版が国際的な材料探索リーダーボードの総合指標で首位になったとされたが、リーダーボードの成績だけで現実の科学的インパクトが証明されるわけではない。
物理的な検証につながる例として、AISIに関連するロケットエンジン開発も報告されている。生成設計、燃焼シミュレーション、金属積層造形、自動計測・制御、試験までを含む一連の工程で、縮尺実証機による閉ループ検証を完了したとされる。 このようなプロジェクトが重要なのは、AIの出力をソフトウェア上のベンチマークで終わらせず、工学的な制約と物理試験に接続しているからだ。
モデルの順位や製品上の優位性は、短期間で入れ替わる可能性がある。一方、開発者コミュニティ、科学データ、実験設備、標準、導入ノウハウは長い時間をかけて蓄積される。こうした資産があれば、次のモデル改善をより有効に活用でき、特定のリリースへの依存も小さくなる。
コーディングエージェント、ロボット制御、分子シミュレーター、科学文献検索システムは、同じ技術課題に直面しているわけではない。国や産業全体のAI戦略では、すべてを一つの汎用モデルに任せるよりも、専門モデルと共通基盤を組み合わせる方が合理的だ。
モデルの重み、ツール、ベンチマーク、プラットフォームが公開されれば、研究者や企業は互いの成果を検証し、改良し、拡張できる。BAAIのオープンソース志向はこの層を支え、智譜AIのような商用企業は、その能力を製品や収益へ転換する役割を担う。
AI for Scienceで価値が高いのは、予測をシミュレーション、実験、計測へつなぐシステムだろう。検証された結果が蓄積されるたびに、次のサイクルで使うデータとモデルを改善できる。もっとも、これはもっともらしい回答を生成するだけの場合より厳しい基準でもある。その分、産業価値へ至る道筋は明確になる。
外部環境の変化に耐えるAI開発には、アルゴリズム、ソフトウェア、データ、計算資源、人材、ツール、導入運用の各層が必要になる。これらを分散・多様化すれば、単一の供給元や技術方式への依存を抑えられる。モデルの性能が期待を下回った場合や、外部の制約が変わった場合にも、エコシステム全体の耐性を高められる。
智譜AI、BAAI、AISIは、同じ役割を競い合っているのではなく、台頭しつつあるシステムの異なる層を担っている。
したがって、3者の重要性は代替関係ではなく補完関係にある。智譜AIは、最先端モデルがどのようにプラットフォームへ変わるかを示す。BAAIは、オープン研究がより広いコミュニティへ能力を広げる仕組みを示す。AISIは、AIの成果を材料、実験、設計されたシステムといった現実の対象で測る方法を示している。
中国のAIの次の段階を最も適切に捉えるなら、「ひとつのモデルが世界の競争を決着させた」という話ではない。独自研究の拠点、商用プラットフォーム、リスクに強い技術基盤、分野横断的な応用を、オープンで協調的な産業エコシステムとして接続できるかどうかが、今後の競争力を左右するということだ。